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パリ軟禁日記 50日目 エンパシーがもたらすもの

2020/5/5(火)

 幸か不幸か、自分にも共感力というものが備わっている。

 人と比べて豊かかどうかは分からないけれども、「シンパシー」(自分と同じだ!)は勿論、「エンパシー」(他人の立場でものを見る!)も持っている。

 そのためだろうか、昨日の清掃のおじさんとの一件があってから、どうも調子がおかしい。おじさんのようなエッセンシャルワーカーの方の気持ちを想像すると、胸が苦しい気がするし、来週の外出制限が解除されたとしても、おじさん含む僕らの生活は一向によくならないのではないか、という不安な気持ちが強くなってくる。

 エンパシーが強く働くと、他者の気持ちに引っ張られてしまう。プラスの方に作用する分は大いに結構だけれど、これがマイナスの方に働くと困ったことになる。本来なら自ら背負うはずのない苦労や悲しみまで、抱え込んでしまうからだ。

 これが、艱難辛苦をともにする身近な他者であれば、励まし合って苦労を半分にするという、いくぶん前向きな捉え方もできよう。要注意は、僕が勝手に見聞きした会ったこともない他者(時には実在しない空想のキャラクター)の気持ちを想像して、ダウナーに陥る時である。あわれ、独り、奈落の底へ真っ逆さま。

 僕はこの性質を理解しているので、とりわけ非常時のニュースは心の距離を置いて、ドライに摂取するように心がけている。この度のウイルス騒動も、昨日まではうまく情報との距離感を保てていたように思う。それが、昨日のおじさんとの会話で少しバランスが崩れたのか、いろいろな記事をインターネットで読んでしまった。

ネットカフェの閉鎖で居場所がなくなる人々。

非常事態宣言後、夫の実家に身を寄せるも、義両親との関係に悩む女性。

妻は店を閉めたいけれども、夫はローンが気になって閉める決断ができない理髪店を営む夫婦。

記者の方々の問題意識や社会的意識は素晴らしいと思う一方、ガードが下がり気味の僕にはなかなか刺激が強いものだった。極め付けはNew York Timesの第一線で働く医療従事者の方々の証言を集めた記事だった。

※エンパシー強めの方はこちらでお別しましょう。また明日!

IN HARM’S WAY(一部抜粋、意訳)

In Harm’s Way: Meet the Health Care Workers Risking Their LivesDespite their stoic selfies, they feel scared, grief-strickenwww.nytimes.com


「怖い。こんな戦争みたいな状況を生きるなんて思いもしなかった」

「助けることができなかったという後悔と悲しみが常にある」

「潜在的な感染者として患者を見ることで、人は変わってしまう」

「死に行く人々の目に映る恐怖は、私の記憶から消えはしないでしょう」

「患者の顔を知ってるかどうかで、テレビで見る数字の重みは全く異なる」

「仕事を辞めて家にずっといたいかって?イエスよ」

「ある患者さんが私の顔立ちを見て、こう言った。
 コロナウイルスを持ってきてくれて感謝するよ」


 テレビや他のニュース記事で取材に応じている人たちとは異なる、生き死にの最前線で疲労困憊している現場のイメージが、言葉と合わさり、心に突き刺さった。

 彼らの気持ちを分かる、だなんて軽々しく言えたもんではないけれども…。彼らが感じただろう恐怖、悲しみ、怒りが想像された。最後のアジア系看護師の言葉は特に痛烈だ。助けようとしている相手に言う言葉だろうか…。

 パリでは毎晩20時に医療従事者への感謝の拍手が街中に鳴り響く。
フランス国内の死者は2万5千人を越えた。それだけの人を看取った人たちがいる。彼らの現場がより具体的なイメージで以って心に像を結んだ今、この音ももう以前とは違ったものに聞こえた。

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