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パリ軟禁日記 48日目 昼からシャンパンを飲むのが適切だと思った。

2020/5/3(日)
 昼から、思いつきでシャンパンを開けてみたくなった。
 日曜日だし、近所のフレンチの持ち帰りランチを頼んでいたし、そうするのが適切な行いのような気がした。天気は曇り。くさくさした気持ちを吹き飛ばすのにも悪いアイデアではないだろう。

 去年から冷蔵庫に眠っていたシャンパン。「いつか特別な日に開けよう」と思っていても、その日はなかなか訪れないものだ。まして昨今の状況を考えるに、家で友人と楽しく飲めるのは次いつになるやら検討がつかない。その気になっているうちに、一気に開けてしまうのが最善と見た。思い立ったが吉日。

 日本の感覚からすると、持ち帰りランチ22ユーロは安いとは言えないけれども、前菜・メイン・デザートでこの店なら納得、というか破格の値段だった。いつもの丸顔のお兄さんが店先で対応してくれた。何回か行って僕は彼の顔を覚えているけれども、あっちはそうではないようだった。「営業してくれていて、とても嬉しい」と気持ちを伝えると喜んでくれた。常連への道は遠い。一歩一歩、信頼関係を築くのみ。

 前菜がタコとグリル野菜のサラダ、スモークした茄子とキャビアソースがかかっている。メインが鴨のコンフィ、キノコのソース添え。付け合わせにポテトグラタン。数日前に買ったバゲットの残りも温めて食べることにした。デザートはフォレ・ノワール(黒い森)という名のサクランボが入ったチョコレートケーキ。

 台所でおもむろに瓶の包装を外して栓に指をかける。
 ゆっくりゆっくり。
 しゅぽん、と音がして喜びが花開いた。とくとく、シュワシュワ、と背の高いグラスに注いでいく。無数のきめ細やかな泡が集まって膨らんだかと思うと、水面に静寂が訪れた。シャンパンに限らず、飲み物をグラスに注ぐ時のこの瞬間が好きだ。炭酸であれば尚のこと良い。いつからか、ビールも缶・瓶から直接飲むのではなく、グラスで飲むようになった。飲む前の、目と耳で楽しむ日ひととき。

 鴨のコンフィはフランスに来てから好きになったメニューだった。日本では鴨南蛮くらいでしか食べない鴨。フランスでは南西部中心によく食べられるポピュラーな食材だ。店によって肉の漬かり方の具合が異なるのか、味が異なって面白い。付け合わせはポテトと相場が決まっている。そう、ガッツリ系の定番めしなのだ。
 前菜からメインまで、すべてが僕の心を打った。最近使っていなかった舌上の味蕾が刺激されるのを感じた。家では再現できないプロの味だった。空腹感だけではない、心の中がじんわりと温かくなっていくのを感じた。

 生きていると、魂を満たす食事というものに出会うことがある。幸いなことに、腹痛の時を除いて、僕は三食まともに食べられない飢餓状態に陥ったことはないけれども、魂がすり減る経験は人なみにしてきたと思う。その度に、僕はその土地の料理たちに救われてきた。キューバで路銀が尽きかけて栄養失調寸前だった時に食べた焼き飯。仕事で死にかけていた時に食べた渋谷のネパールカレー。走馬灯のように、過去のうまいメシたちが脳裏をよぎった。…おっと死ぬわけにはいかない。

 気づけばシュワシュワの黄金の液体は瓶からなくなっていた。そのまま夢見心地に身を任せて、ソファーに移動し映画をつけた。『マトリックス』(1999、ウォシャウスキー監督)。何回見たか分からないけれども、今年は新作も控えているし、もう一度行っておこう。思えばこの映画の世界の人々も極度の監禁状態にあるな…。上から下に流れていく緑色コードの煌めきが、なんだかシャンパンの泡を連想させた。時折混じるカタカナは寿司のレシピだとか…。もやもや考えていたら意識が遠くなっていった。
 
 「ミスター・アンダーソン。」
 エージェント・スミスのお出ましだった。
 そろそろ僕も現実世界に戻るとしよう。

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