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1. 変態紳士ビギンズ

生まれてから最初に見た景色を覚えている人はどれくらいいるのだろうか。

もちろん僕はそんなことは覚えていない。

みんな違う景色を見ているに違いない。

僕が物心ついたころには、おんぼろアパート、兄と僕と、時々、オカン。の3人で生活をしていた。

兄と僕は、対照的な性格をしていた。

母いわく父親に似ている兄はかなり無口でマイペースで大人しかった。僕は、気が小さ

く泣き虫だったが、人懐っこいらしかった。

母は、感情の起伏が激しく精神的にも不安定なところがあった。

後に聞いた話だと、母の実の母親は、精神的におかしくなり自殺をしていたそうだ。

なるほど、つまり母親似の僕にもその傾向はあるのかもしれない。

鬱傾向というものは遺伝していくらしい。

父親はよく知らない。母いわく、ろくでなしだそうだ。

それ以外の情報は全くわからない。顔は写真で見たことがあった。

兄と似ているそうなので、そこから推測するに、無口でマイペースそして自分中心な性格としようか。

兄は、無口なためか友達が少なかった。僕は、小学校に入ると急に人見知りの傾向が出始め兄と同じく友達は多くはなかった。

なので、小学校を卒業するまで、二人でよく遊んでいた。

魚とりをしたり、セミをどれだけ多く捕まえられるか競ったり、探検をしたり、とにかく外に出た。

家のおんぼろアパートは、わんぱく盛りの兄弟にとっては、少々狭く思われるくらいの

スペースの部屋があり、玄関と台所が一緒になっていて、すぐ隣には、お風呂に和式トイレという間取りだった。

お風呂を使用している最中に、台所のお湯の温度が急激に下がる怪現象に度々見舞われた。

部屋の壁が薄いために、家の中で兄と取っ組み合いをしていると、隣の部屋の住人から

「うるさい」の合図である壁殴りの音が響き、それを聞くと一旦は喧嘩が収まるのだが、すぐにまた、プロレスが再開されるのである。

貧しい家庭だったためゲーム機は最新のものはまず買って貰えなかったが、それでも、

中古でとうの昔に流行りのすぎたゲーム機はごくたまに買ってもらえた。

ただ、いつもそれは無口な兄が独占しており、僕は、ほとんど見てるだけだった。

ゲームができないかわりに、いつも妄想するか、数少ないおもちゃで空想格闘ゲームをよくやっていた。

小さい頃、僕は非常に怖がりの子供だったと思う。

なぜか、夜の暗闇があまりに怖くて眠ることができずに、深夜に大泣きしてしまうこと

がよくあったのだ。そのたびに、母がまだ僕がお腹にいたときに聞いていた『気持ちが落ち着く曲』というものをかけてくれたのだ。そうするとすぐにぐっすりと眠ることができた。

今では、その代わりをアニマルビデオが務めてくれている。

母が自転車で兄を後ろに、僕を前に座らせて保育園へ送っていた。

保育園へ行く道は、おんぼろアパートから近くの線路を越え、二階建ての大きな家の横を通り、並木道を過ぎて信号を渡ったすぐそこにあった。

大きな家の庭にあった、南国にある椰子の木みたいな大木が、なぜか化け物みたいで、

その木を見るたび、体の芯からゾクゾクと振動が沸き起こって、思わず手で目を覆ってしまっていたのを今でもよく覚えている。

母は、怖がって目を覆っていた僕に気づかなかったのか、一心不乱に自転車をこぎ続けていた。

なぜ構ってくれないのかいつも不思議に思っていたのだが、年長になる頃には、大木にも母にたいしても何も思わなくなっていた。

今になって、思い返してみると、母には余裕がなかったんだと思う。

女手一つで、好奇心に溢れ、わんぱく盛りの兄と僕を育てるというのはとても大変なことだったのだろう。それに、お金を稼がなければいけなかった。夜の仕事をしていた母

が、朝に帰ってきて、そのまま兄と僕を保育園へ連れて行くのだ。相当にしんどいのだと思う。

ただ、一時期ひねくれて、大人ぶって、現実を分かりきった気でいたときに、こう思ったことがある。

それは、母親が若い時に、勉強も努力も怠った結果だろうと、結婚する男を間違えたせいだろうと、お金もないのに、無計画に子供なんか作ったせいなのだと。

だから、母親自身も兄と僕も苦労するはめになったのだと。

そのせいで、周りの子供たちが当たり前のように手に入れられるものも手に入れられず、当たり前のように連れていって貰える水族館や動物園にも行かせて貰えないのだと。

夏休みが明けて学校のみんなが夏休みの思い出話に花を咲かせている中に、混ざることができなかったのだと。

僕は普通の家庭で育った子たちとは違い、スタートラインからハンデを背負わされたのだと思っていた。

こんな場所からでは死ぬまで彼らの背中を拝むだけになってしまうではないか。

もう走るのはやめてしまおうか。なんてことを思っていた。

けれども、最近ふと思い始めたのだが、苦労や嫌なことはあるが、そんなに悪いことばかりではないなと。

そもそもスタートラインもゴールラインもみな違うではないかと思うようになってきた。

ほかの人からは見えない自分だけの景色があるということは、何よりもその人自身の強みになると思う。

そういえば、全くどうでもいい話だが、NHKのダーウィンが来た!でガラパパゴス諸島についての放送を見ていたときに思ったことがある。

「特殊な環境で育った生物は、なんか気持ち悪い。」である。

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