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婦人会議事録「無臭の男」

先日、知り合いから「瀬戸内寂聴日めくりカレンダー」をプレゼントされた。「お前、毎日、これを日めくれ」と思われたということはつまり、「感謝」「謙虚」「笑顔」といった寂聴的側面が私に欠けているということなのだろう。

確かに欠けているもんで、実際にデスクに置いて日めくってみると、これがなかなかいい。瞬間的によからぬことを企んだ時に、視界の片隅に寂聴ワードが見えるというのは、不良思考の人間を数歩だけ正しい方向に進めてくれる。

ところが、毎日寂聴チラ見状態になると、もし本当に、「常に感謝」「常に謙虚」「常に前向き」っていう寂聴度120%の人がいたら、それはそれでヤバいんじゃ?という反寂聴的発想が沸き起こるものだから不思議だ。そんなんだからこそ、お前は黙って日めくれ!ということなのだろうけど、やっぱり人間は清濁併せ持っていてナンボだと思うの。

そう、私の最近のテーマは「清濁混合」であり、それを具現化している、通称「婦人会」での友人たちの発言には、毎回息を飲んでいる。「女子会」というにはとうが立ち過ぎているし、「オトナ女子会」と爽やかぶるには極めて「濁」寄りの為、女同士の飲み会や茶話会(茶話会て)のことを、あえて「婦人会」と呼んでいるのである。

その婦人会で先日話題になったのは、野村サッチーの追悼番組で流れた昔のVTRの中で、サッチーが言ったひとことだ。「監督のどこに惚れたんですか?」という質問に、最初は「そんなこと、どうでもいいじゃないのさ」という感じで言葉を濁していたサッチーが、ちょっと考えてからこう言ったのだ。「だってこの人、臭くないんですよ。無臭。私、イヤなのよ、男の人の匂いって」———ここまで、究極に真をついた発言てありますかいね?という話で、婦人会はざわついた。

そう、なんのかんの言っても、「臭くない男だよね」ということだ。誰だって、中年にさしかかってくると加齢臭に見舞われるわけだが、ごくまれに、どんなに年齢が行っても無味無臭の男というのはいる。会社でスーツ越しに接するだけならともかく、真っ裸にして裏表めくってどこをクンクンしても全くの無味無臭。しいて言えば、ほのかに健全な皮膚の香りがして、口からはなんと乳酸菌のような爽やかな吐息が。これって本当に、オスとして優秀よねーという話で盛り上がる。

もしも「臭わない男になろう」とかいう特集が男性誌上で組まれるとしたら、「こまめにシャワーを浴びて、コロンをひと振り」とか「時間が空いたらジムへ通って汗を流そう」とか「肉類は控えめに」とかいうアドバイスがなされるだろうけど、私たち婦人会では、そんな既視感のある意見は、今更出ない。我々婦人会が出した結論は、「無臭になりたいなら、思考を、人生をクリアにせよ!」という、極めて精神的なものだった。

何を言っているのか?寂聴なのか?ということだが……。つまり、電車の中で、朝から信じられないようなすえた臭いを発している男というのは、思考が、人生がグズグズしているのだ。決断力がなくて、思考回路もクリアじゃないから、頭の中がいつもとっ散らかっている。どうしよう、次の駅で降りたいけど、あっちは混んでるからこっちへ行こうかな、あ、でも、つり革につかまりたい、ああー、痛ってぇな、ぶつかってんじゃねえよ……と車内を縦横無尽にスライドしてしまう、そんな輩。そんな男には、モヤモヤしたやるせない毒素が血液の中を流れてしまい、結果としてそれらは臭気成分になって体外に放出されていると考えるのだ。

一方、頭がいつも冴えわたっていて前向き、常に即断即決出来る男は、やるせない成分が血液に流れこまない為、結果として無臭になる。出来る男は単純明快にして思考クリア→臭くない→ふるまいも大胆に→女にモテる→しばしばSEXをする→出すもの出しているから、いっそう体内クリアに→無敵の無臭に→さらにモテる!というわけだ。

「えーっと、そんなクリアな思考を持つ人物になるための具体的対策としては、机の上に寂聴カレンダーを設置することでいいかな?」という私の意見に「さっきから、『寂聴カレンダー』って言葉を言いたいだけじゃん」とマイブームを見透かされつつ、婦人会は終了した。これからも、小娘には導き得ない角度からの「モテ」について、今一度考察してみたいと思っている我々婦人会である。

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