台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page27】

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五、ハルの手紙 ②

 ありさが登校するとすぐしおりが近づいてきました。

「ありさ、おはよう」

「おはようしおり。お父さんには質問できた?」

「ううん、まだ。いざ何か言おうと思うと言葉が出てこなくてさ。それにパパ、会社から帰ってくるの遅くて。なんだか疲れてるみたいな顔だったし……」

「あのさ、聞きたいこと、メモしておけば?今までに思ったことでもいいし、その時に浮かんだことでもいいから。箇条書きにしておいてさ、あとで読んでこれは聞きたいってことあったら、順序考えて、聞けそうなときに一個ずつ聞くってのはどう?いっぺんに言おうとすると大ごとになるから」

「えー、それいいじゃん。さっすが~!ありさ」

「えっへん!なんちゃって……ハルさんの受け売りだけどね。勉強のほうもさ、授業中わかんなかったとこはノートにメモしておこうと思ってんの。疑問に思ってもさ、あとで疑問そのものを忘れちゃうから……あはは」

(そういえば、ハルさんから預かった豊田先生への手紙、あたしも読んでもいいよって言われてたっけ……)

 ありさはHRまでの自習時間、ハルの手紙を出して読んでみました。便せん何枚にも及ぶ長い手紙だったので、その後の休み時間も使って全文を読みました。

豊田先生
 ありさがお世話になっております。この度はお騒がせしました。
 いったんは見失いかけた、たった一人の家族である姉とのつながり、友だちとのつながり、そして学校と自分とのつながりを再生しようと決心したようです。そこに至るには何人もの人の支えがあり、その人たちとの交流の中で自分の目標も見出せたようです。
 私は保護者でもない、ただの下宿の大家ではありますが、今後ともありさを見守ってまいりたいと思います。
 実を申しますと、私は数十年も前、中学校の教員だったことがあります。採用試験に受かったというだけで大学を出たばかりの何も経験のないものが教師になるのですから、数々の失敗も苦い思いもいたしました。
 その中に30年も経った今でも心の底に張り付いて取れないしこりのような出来事があります。それは教え子の自殺です。私の担任するクラスの生徒ではありませんでしたが、授業は受け持っていた女子生徒でした。突然団地の高層階から飛び降りるという形でわずか14年という人生を閉じました。遺書はなく、まじめでおとなしく、成績も悪くなく、トラブルやいじめなどの問題を抱えていたことは把握されていませんでした。一同ショックを受け、原因を探りましたが解明にはいたりませんでした。
 実際私もその女子生徒とは、まじめでノートや答案用紙に几帳面な字を書く生徒という以外に、その子の心情を理解するようなコミュニケーションがありませんでした。日々、問題傾向の顕著な生徒の指導に多くの時間を費やしており、自己表現をしてこない生徒には目が行き届かなかったのです。
 そのような中、遺族である彼女の父親が学校に度々足を運び、教師や生徒に直接話を聞き、自殺の原因を探るようになりました。そのころはケータイもなく、子どもたちはネットを通して自己表現することも他人とやり取りすることもなかったので、日記すら残していなかった彼女の死に至る足跡をたどるのは、少しでも関わりのある人に話を聞くしかなかったのです。
 ですが、学校にとってはそれは困ることでした。父親が犯人捜しのようなことをして生徒たちを混乱させるのではないか、突きとめたと言って訴訟のようなことが起きるのではないかと。教頭は父親の聞き取りには窓口を設けるので教師は個別に話に応じないよう指示しました。
 けれども父親はそのような対応に抗い、個別の聞き取りをやめず、私のところにも来ました。私は指示通り、窓口になっている教頭と話をしてくださいと伝えましたが、父親は「私は娘の軌跡をたどりたいのです」と執拗に迫ってきました。わずか14歳の娘に死をもって黙って別れを告げられた父親がそれを受け入れるには、どんな小さな情報のカケラをも集め、一つのストーリーにまとめて納得する方法しかなかったのかもしれません。
 私はそのときにもっと父親の心情に寄り添う応対ができればよかったのです。今もってそれは後悔しています。申し訳ない気持ちでいっぱいです。その時の私は人生の経験も浅く、子育ての経験もなく、親の心に添うことができませんでした。
 それでも彼女のことを振り返ってみましたが、やはり、まじめな授業態度と几帳面な字を書くという所見しか話せません。さらに、その父親の娘の軌跡をたどるという思いに少し違和感を覚えて、父親の描くストーリーが果たして彼女の真実なのか?という疑念から、彼女の飛び降りが本人にとって衝動的な突発的なもので、直前まで意図してはいなかったのでは?という内容のことを言ってしまいました。ある意味、父親の聞き取りそのものを否定することになってしまったのです。わからないのなら言ってはいけないことでした。
 その後のことはよく覚えていません。それから数か月たったころ、学校のある地域の書店にその自殺した生徒の名前をタイトルに入れた本が置かれました。父親が手記を出版したのでした。
 その本には実在の人物がイニシャルで登場し、話したことやそれに対する父親の思いが書かれていました。私は書店でちょっとめくってみましたが、父親の描いたストーリーをじっくり読む気になれず、買わずじまいでしたが、ある日、その本を読んだ別の学校に勤務する友人に厳しくとがめられました。イニシャルで私とわかる部分の記述が私の非人情を訴えていたからです。私は「やはりそうか」と思ったのですが、そのことはもう話したくないまま、時が経ちました。
 何年かして私は学校を辞めました。生徒を従わせる力こそが教師の力量、そうでない者は指導力がない。そのような空気の中で、ここは自分の居場所ではないと感じました。時は経ち、自分にも子どもができたときに、初めて子どもの命を守り育てることは容易ではないことを悟りました。小学生の高学年で不登校になった我が子に夫が放った、たった一言で、子どもはベランダに走り、そのときに私が必死に抑えなければ、10階から転落死しているところでした。
 不登校への学校の対応はその時々の先生によって違いましたが、中学に入って長期に及び、原因が特定の先生にあると本人が言い出した時に学校の対応ががらりと変わり、面談においても学校組織として身構えるようになり、心を開いた個別の相談ではなくなってしまいました。
 私は学校を辞めて子どもを持つ親になって、改めて以前の学校時代を思い起こし、自殺した生徒の心情の理解ができなかったことに、贖罪の思いを持つようになりました。そして学校というところは外界から閉ざされた世界だとわかりました。あの時自殺した生徒の父親の思いが自分に刺さりました。
 そしてここ10年余り、10代、20代の若い人と一緒に仕事や生活を共にする中で、生きにくさを抱えた子たちをたくさん見てきました。それは家庭環境や貧困もあります。片親は当たり前、両親ともにいない子もいます。また、そういう問題はなく、学業成績も悪くなく、一見普通の子どもなのに、おもに社会性において生きにくさを内包した子どももいます。私は専門家ではないので発達障害という言葉をもって断定するわけにはいきませんが、特異性を理解してそれに沿う指導を行えば、苦手なことを少し克服して自分に合った仕事に就き、自信を得て社会の中で生きていくことが可能なのに、理解を得られずデキの悪い人ダメな人と判断され、孤立していくこともあるのだろうと感じました。
 ここにきて、あの時自殺した生徒の書いていた文字が頭から離れなくなりました。HBの鉛筆で筆圧強く、一文字一文字点画をきっちり、角ばったその文字は、ただまじめというだけでない、その生徒の持つ特異性ではなかったか?自分のルールへのこだわりが強く、臨機応変な柔軟性に乏しく、そのルールに外れることや人を許せず、他人ではなく、それが自分に向けられたとしたら……。
 そして、父親も自分の思い描くストーリーに我が子をあてはめなければならない性質で子どもの心を支配していたのなら……。
 これは今となっては憶測にしかすぎません。命が失われてからでは遅すぎるのです。なんとしても生きていくことを教えなければなりません。
 豊田先生は先日、この学校ではまだ自殺者はいないとおっしゃっていました。ですが、二十年ほどの教員生活の中でそのような経験をされたこともあるかと思います。その方に私のようなものが意見するのは不遜だということは重々承知しております。
 それでも申し上げたい。人の命はいともたやすく失われてしまうものです。目立たない子どもにも声をかけてください。目立つことをしない子どものこともよく観察して、小さなことでも感じたことは言葉にして書き留めて先生方の間で共有してください。いつも明るく元気そうに見える子でもクラス内のカーストと呼ばれる序列や家庭での不遇から、自分、他人の価値を認められない子もいます。毎日の指導で忙しい中でもちょっと気になったこと、気づいたことは共有してください。生きているうちにしかそれは活用できません。
 私の子どもも生きていたからこそ不登校を乗り越えて、少しは人のお役に立つ仕事に就けています。そして私自身は食と住まいという基盤があれば勉強に仕事に出ていける人たちの支えになればと下宿を営んでおります。
 子どもたちが多様であるように、教師もまた多様なはずです。一つの価値観で評価するのではなく、多様だからこそ多様な生徒に対応できると言えます。開かれた話し合いのもとで情報を共有し、役割分担をして包括的に生徒の指導に当たっていただけますようお願いいたします。
 長文になりました。全文を読んでくださり、ありがとうございました。
 ※これは質問状ではありませんのでお返事はなくてもかまいません。

 ありさは今まで知らなかったハルの過去や思いに驚き、聞きたいこと、質問したいことがたくさん浮かびました。これもメモしておこうと思ったのでした。

 そして放課後、豊田に

「これ返事は要らないそうですから、身構えないで全部読んでください」

 そう言ってハルの手紙を手渡しました。

 五、ハルの手紙③ に続く




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