大嫌いだけど大切な誕生日

八年前の今日、友達は自ら命を絶った。
「おめでとう」と言ってくれた翌登校日、もう教室にはいなかった。
その代わりに別の自分が生まれた。
あれから一日も忘れたことがないということだけは自信を持って言える。

1.出会ってから誕生日まで

高校入学してすぐ出席番号順に座らされた席の前後だったのが、彼だった。
すごく物腰柔らかくて、すごく頼ってくれて、一緒に遊ぶようになって、親友だって言ってくれてたことが凄く嬉しかった。
でもだんだん、休み時間授業時間構わず席で、腰を曲げて机の上に交差させた腕に顔をうずめて泣いてる姿が目立ってきた。
同時に、自殺する原因である彼の家庭環境について、まあ半分以上愚痴だけど悩みを聞くような会話が非常に増えていった。
簡単な内容は複雑な家庭環境と暴力。
こっちの心が痛くなるのと同時に、心を開いてくれている彼と、この事実をちゃんと受け止めてやろうという気持ちだった。
当時まで、自分で言うがそういないくらい純粋で、友達の言うことは疑わず自然に信じてしまう、友達の悩みには自分が辛くなるくらい考えてしまうような、周りの誰にでもいい顔をしてしまうような人間だった私には、彼がこのような姿を教室で見せる度に他のクラスメイト、また仲の良かった友達までもが言う「ただのかまちょやん」「気持ちわる」などの言葉にすごく失望した。なんでこんなことを陰でも、私にも本人にも聞こえるように言うんだろうと。私はそれなりに遊ぶ友達も多かったし、サッカーをやっててアウトドアだったし、普通の学生の日常で悪口を聞かないわけではなかったし、客観的に見てもこの程度といえばこの程度かもしれないが、
当時のこれらから与えられる失望は衝撃でかつ鮮明で、今の私を形成するきっかけといっても過言ではないくらいだった。だって本気で死ぬって言ってんだもん。そう聞こえてた。
彼は家庭事情、日々の愚痴のほとんどを私達(ほかに2人くらい聞いてる人もいた)にぶつけてくれてたのは理解してたから、外から適当に言葉はいてるやつがこんなことは知らなくて当たり前なのはわかるけど、それが一層苛立ったし失望に繋がっし、人なんか信用するもんじゃないって思い始めたきっかけになった。
学校の先生もクソだった。誰も詳しく事情を知ろうとしないし見て見ぬふりばかり。大人って思ってるより大人じゃないって聞いたことあったけどこういうことなんだと思った。
以降もこのような日常が続き、夏休みに入る。

こんなに会えなくて心配だって感情に驚いて、一つ自分のことを知った。こういう時、こういう感情を抱くんだって。
写真で送られてくる殴られたあざの痕、
ビリビリに破かれた私服、制服の写真、
泣いてるのをごまかすようにLINEで送られてくる「wwwwwwwww」の文字、
電話越しで「助けてくれ」って声にならない声で訴えかけてくるあの時間、
「話だけ聞いてくれも、助けてっていっても、今来てくれないだろ」ってぶつけられた本音、
話し相手にしかなってあげられない自分。
もう何もわからなかった。それでも彼のことを考え続けた。でも明日はすぐ来るし、私も明日の為に寝なきゃなんないし、私って、いや人間ってこんなに何もできない弱いやつなんだって、また一つ学んだ。
一日だけ外で一緒に遊んだが、帰り際に悲しそうで絶望したような背中と、このまま帰していいのか、何かできないかと悩みながら足が動かなかったことしか覚えてない。
そんな日を過ごしながら夏休みが終わり、
「自殺するなら絶対電車でする。」
という言葉がずっと頭に残ったまま二学期が始まった。
そもそも自殺って考えを除いてやろうとしたり、こんな言葉信じたくない、事実にしないように止めなきゃ。って考えるのが普通だと今思うが、
彼の話を聞いてる中でなぜかこの言葉は信用できた。と言ったら違うが、説得力があった。

八年前の今日、夕方、学校の最寄り駅の線路で人身事故があったと知った。
バック、制服、荷物かどうかは知らないが地元の学生だということが特定されていた。小雨で薄暗い中線路で座っていたらしい。
部活動が終了してスマホをみて目に入ったYahoo!ニュースで、すぐにわかった。彼のことだって。これだけは信じて疑わなかった。
私、最初からなにもしてあげられてなかったし何もできてなかったじゃんって、いろんな時間惜しんで彼の話聞くことを優先して、それでもなにもできてなかったって劣等感と罪悪感しか残らなかった。
でもなぜか既読が付くライン、焦って気が気じゃないのに、親友だと言い続けてくれた友達の有言実行に「ついにやっちまったのか」となぜか変に冷静な自分もいた。
明日部活動の試合なのにどうすればいいのか考えた。
結局翌日の試合、スタートで出場したがさすがに異変を感じた顧問がハーフタイムになって交代させてくれた。
なんでこんな時にサッカーやってるのかもわからなかったし、ちゃんと朝起きて頑張って試合出てる意味も分からないしで、泣きながらピッチを後にした。その時もこの事を知らない部員は私のことを見て「なんだあいつ」「何泣いてんだ」って笑ってた。いつもは笑顔で接してくれたのに。
だるそうな顔して指さしてるやつもいた。
顧問は私と彼との関係を知っていたのか、校内に逃げた私についてきて、いろいろ聞いてくれてわけわからないくらい一緒に泣いてくれた。
この顧問は多分知ってたんだと思う。

以降、どうやって過ごしていくのが正しいのか分からなかった。正しい正しくない、に異常に固執していた。
本気で日常生活で笑っちゃダメなんだって思い込んで過ごしてたこともあった。
自分の人生なんだから死んだ人のことは忘れて自分のやりたいようにやろうって冷酷になろうともした。
気にしすぎる必要ないって言い聞かせた。
何をしてももう取り返せないってわかってた。
こんなこと知らずに友達とうまくいってないだとか悩み聞いてくれって連絡してくる女子がくそほどうざかった。
何も知らないのに大丈夫??とか声かけてくる奴も、こういう時だけ話聞こうか?って言ってくる先生も親も、変に気使ってくるやつもくそほどうざかった。「辛かったら話聞いてやろうか?」って親にかけられた言葉が一番気持ち悪かった。
偽善ってこういうこと言うんだって強く納得したし、何もできなかったけどそれでもずっと側で話聞いてやってたって自分と比較して、表面上だけで接してくる彼らに対して「気持ち悪」って、心の中で馬鹿にして少しでも自分のやってたことを肯定しようとした。
飯は喉を通らない、寝れない、生気はない、でもやらなきゃいけないこともある。
ここからもっと深刻化するんだけど軽いうつ病になった。

世論がどうとか、不謹慎だとか私には関係ないし考えたくなくて、
自殺するって言って自殺した覚悟、電車でやるっていってやった勇気、行動にするまで生きた強さ、それらは尊重してあげないとダメだと思った。
私に止める力も権利もなかったんだし。
交通機関がどうとか話すつもりない。
自殺は尊重してあげるべきだと思う。

今でも小雨の薄暗い夕方に電車に引かれて逝く彼が鮮明に記憶にある。
見てないのに。

2. 依存

あれから変わらない日々が続いて、年次があがった。
学校から、本校の生徒が自殺でお亡くなりになられましたと集会でアナウンスがあったり、死んだ彼が写った文化祭のパンフレットが配布されたり、まあそんなこんなで時間は流れていた。
そんな傷心中の私に一人の女子が近づいてきた。
後々知ったのだが、簡単に好きになってくれそうだのなんだので近づいてきたらしい。(ちなみに私がこのような状況だったのは知らなかったらしい。)
特に人肌が恋しかったとか、自分を理解してほしかったとかは思ってなかったので、話を聞いてくれてとかそういう動機ではなかったが、異常に自分をよくしてくれたし自分のこと好きなんだと思って、それが嬉しくて結果的にまんまと沼る。
第二の地獄の始まりだった。

未だに友達の死を引きずり続ける私に普通に接してくれたのも、好きなんだと思うくらい特別に接してくれたのも、シンプルに可愛い子だったのも当時の私には新鮮で、罪悪感とか鬱だったのも少し鬱憤が晴れたと錯覚させてくれる時間が始まったんだなって達観してたつもりだった。
しかし気づいて見れば、夜遅くまで彼氏とうまくいかないが中心の相談話の聞き相手担当。(ちなみに彼氏は学生ではなく帰りが遅かった。てか彼氏いたんかい。)
もうこの頃、私は彼女のこと好きになってたのと、好きな人の話くらい聞いてやりたい、話を聞くだけで何もできなかったって放心した過去があったけど向こうが求めることに答えて何かできるなら目の前のできることはしてやりたい。って思ってた。恋は盲目。
当時の私に好きな人の好きな人の話を聞くのはくそほど辛かった。期待してた。
でもそれでも好きだって伝え続けたくて伝えたし、二人でいろんなことを濃密すぎるくらい話した。
もう大切で好きな人を失いたくない、って漫画アニメで聞くようなくさいセリフを真面目に心に刻んでた。
彼女との話を当時の彼氏になぜか聞かれてて試されてこともあった。
意味が分からん。
彼氏と別れたと聞いて、嬉しかった感情と一緒に夏休みに入った。

彼女は俗にいうメンヘラ系女子だった。
「彼氏いなかった期間○○しかない」とか言ってたので彼氏がいないと落ち着かないみたいな感じもあった。
まあ、彼氏と別れたと聞いて入った夏休みだが、別のクラスの人を好きになったとかいう話を聞くとこから始まった。ただの都合のいい男過ぎたのは分かってたけど頼ってくれるのと、頼ってくれる人を見離せないのと、人一人の助けにもなれないのかって自分に対する異常な劣等感をこのまま認めきれなくて必死だった。
夏休み前にネクタイを貸してたらしい。
だんだん、好きな人にもっと振り向いてもらいたい、ネクタイを返しちゃうと今後も関わり続けられる理由が無くなっちゃう、って話の割合が強くなっていってメンヘラ感が姿を現し始めた。
どれも変わらず真摯に真剣に聞いて、答えて相手をしてた。
深夜まで電話して、深夜までラインをして話してた。求められてることに答えられてるならそれで満足だった。
もはや共依存だった。少なくとも私は完全に依存していた。
このような日常の中ある日、早い時間に寝てしまった。
翌朝、LINEが200件以上たまっていて、当時は真剣に「やってしまった。」「裏切ってしまった。」と思った。(今考えたらマジで病気。やばい。)
「ごめんね」って言い続けて、翌日から向こうより先に寝ないようにした。
鬱に磨きがかかった。
向こうからの連絡が来た時の為に、来なくても寝過ごしてまた同じ思いしないさせないために4時まで起きて寝て、7時にまた起きて部活動に行く生活を繰り返していた。(いやマジで病気過ぎる。。)
もう出会った時から彼女のことと、ずっと自殺で失った友達のことしか考えられなくなっていた。
人間なんか信用信頼期待するもんじゃないといいながら、この辛くて甘い時間、日常にいるようで日常から外れた時間を過ごしてるようでずっと離れられなかった。
そんなこんなで夏休みが明けた。

9月になって私としてはまた強く自殺した友達のことを鮮明に思い出す。
彼女との時間が友達の自殺から立ち直る隙なんて与えてくれなかった。余裕がなかった。
学校が再開して一緒に帰ったり、まあ色々した。
そんななか大掛かりに誕生日を祝ってもらった。
ほんとにたくさんの友達、先輩、先生が書いたメッセージが書いてあるアルバムに、彼女からの手紙が入ってた。いつもありがとう、この気持ちは本当だよと。
こんなこと初めてだったから、もちろん凄く嬉しかった半面、やっぱりこうやって幸せだなって思ってる自分に対する罪悪感は消えない。
この日の帰りは自殺現場に行ってただ見て立ち尽くして帰ってきた。

彼女の話を聞かされる男はだんだん増えていった。中には私についての話を聞いていた人もいたし、その中に幼馴染もいた。
細かい時期は忘れたけど、好きの価値がなくなる。とか言われながらずっと馬鹿みたいに好きだって言ってたのが急に報われた。
不思議と、その時芽生えたのは達成感だった。
結局、彼氏がいたのに学校で、学校帰りに私ととか他の子好きになったりとかそんな子だったので予感はしてたけど二か月も立たないうちにまあ浮気。修学旅行先で夜の海見ながらだと。しかも相手幼馴染。学生の分際で浮気とか言葉使うのもおこがましいが。
こう言葉では並べるけど当時は当然またくそほど病んだ。
公園で恥ずかしいくらい泣きながら言いたいこと全部言って別れた。
友達に戻ろって言って。まだ盲目だった。

3. 逃げ道に選んだ自傷行為

分かれてすっきりした。付き合った時に得た達成感の意味が分かった。
人一人救えなかった私が、形は少し違うけど、
必死で笑って泣いて悩んで無理して生きながら頼ってくれる人が自分を認めてくれたこと、またあの時と同じような結末にしなかったことに対する達成感だった。馬鹿みたいにその子しか見えなくて、好きだったのは確かだったのに、気持ちのほとんどはそれだった。
そりゃ付き合っても続かないよね。って感じ。

自分の不安定で迷走したメンタル、考えだけはずっと変わらなかった。
部内のある先輩とある同期同士で喧嘩が起こった。
もうこの頃は、こうやって人が"自分"を晒してる姿を目の当たりにするのが怖かった。目の当たりにして冷静に考えられなくなって、結果的に自分を痛みつけることとなった。
まず同級生の話を聞いた。本気の主張に圧倒された。友達が泣きながら声にならない声で助けてくれって言ってたあれとは全然違った。
もう心が正常じゃなくて、またなにもできない、人ひとり救えないって恐怖と罪悪感に駆られて、自分が好きなことやってることへの罪悪感もあの頃のようにフラッシュバックして、ついに腕と足首を切った。これまで自傷行為はしてこなかったのに。
よくリスカする理由に生きてる証を実感したいから、とか聞くけど、私の場合、完全に「こういう時リスカする人が多いからした。」ってだけだった。
そこにしか逃げ道がなかった。足は完全に好きなこと=サッカーしてることに対して罪悪感を得たから足にも包丁を入れた。
それでもやっぱり痛くてどっちも痕が数本残るくらいにしかできなかった。
そのやりきれなさにもまた自分って弱いなって責めた。
学校で保健の先生に怒られました。

4. 自分にしかないもの

そんなこんなで時間が過ぎ、友達に戻った彼女がまた男とだらだらしてるなど小耳にはさみながら、寝る、飯を食う、自傷行為をしないなどから意識して過ごしていき年次があがった。
この自殺した友達との出会いから、人に依存して、自傷行為をして、ここでは書いてないけど他にも色んなことがあって色んな話を聞いて、それでも徐々に頭で考え続けて自分がこういう時どうなるかを学習のつもりで整理しようとし続けた。
どうしたら自分が辛くならないかをひたすら考えた。感情を殺そうと思った。
自分の辞書から「信頼」「信用」「期待」「干渉」など概念レベルで言葉を消そうとした。(意識しないみたいな。)考える必要がなくなるから。周りの目を気にする意識がそびれるから。
自分がこういう時どうなるかを把握すれば、その状況を避けられると思った。
悩む度に自分の価値観、なにを大切にしたいか、なにをきっかけにこれを始めたのかやってるのか、なんでこの人なのか、悩んだ末にどうやって立ち直ったかを大切にして、次悩んだ時に思い出して悩む度に立ち直るまでの速さをだんだん速くしていけばあったはずの時間も取り戻せる、人のことを考えて浪費する時間は思ってるより無駄なのでなにより自分優先で過ごす。
どうでもいいことをどうでもいいと言い切る。
でも大切なものはちゃんと大切にする。
などいろいろ自分なりに答えではないけど未来の自分への財産として自分の中に大切にしまうことにした。
人に理解されようとしなくていい、むしろ理解されたくなかった。
自分にしかわからないことがたくさんあっていい、
自分でしかできなかった経験が、
自分にしか感じられなかった感情が、
自分にしかできない自己形成があるはずだって、
人の数の数倍の感情がある中、結局自分で感じたこと、そこから決めたことを一番大切にしようと二年、三年、また現在までかけて分かった。
でも、立ち直る必要のないこともある。
ずっと引きずって、一緒に人生歩んでいけばいいじゃん。
それくらいに思えるまでの感情矯正でここまで生きてる。
8年前の誕生日に失った物から誕生した別の自分を、肯定するように自信にしている。

5. 読んでくれてありがとうございます

学生を卒業後、あるものに心動かされて学生時代の人たらしで、人に依存して、大切なことがなにか分かって、必死に自分の感情矯正して生きようとしてた昔の自分を思い出す。そんな現在。
なにか物、表現、事象に対して、最高だと思うことが増えたけど、あの時の自分がどうしても垣間見えるときがあるから辛いことも多い。くだらないけど馬鹿みたいに、今のこの感情を大切にしたいって気持ちに真剣になってる自分が好きだけどね。この話はしないかも。

もしここまで読んでくれた方、いたら本当に感謝します。
非常に拙い、殴り書いたような文章で、ちゃんと全部は伝えきれてないですが、本当に読んでいただいてありがとうございます。


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