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86.ながら と Doom Scroll

現代は、スマホを手放せなくなってしまっている人が多くなっています。

駅や信号待ちの時には、うつむいてスマホと睨めっこ。

レストランで美味しい料理を食べてる間も睨めっこ。

トイレの中で踏ん張っている時にも睨めっこ。

お風呂の中でも睨めっこ。

布団の中でも睨めっこ。

車を運転中も睨めっこ。

自転車乗ってる時も睨めっこ。

歩いている時も走っている時も睨めっこ…。

どんな時でも睨めっこ…。

本や新聞は読まないで、世の中の動きはほとんどスマホを通してネットから入手しているという人も多くなっています。

テレビ番組や映画もゲームも…そして、買い物もスマホで済みます。

調べ物もスマホです。

道がわからない時もスマホですし、音楽聴く時もスマホです。

人が発明した画期的な道具であるスマホに支配されるようになって、10年以上が経ちました。

言い方が悪いでしょうか…。

私もスマホを使っています。

Androidです。

noteやFacebookの更新、身内とのLINE、時々調べ事もします。

スマホに文句があるわけではありません。

使い方次第ではとても有効的な道具だと思っています。

でも、“ながら”は危険です。

スマホと睨めっこしていて事故に遭ったり、他者を怪我させたりしていては大問題です。

“ながらスマホ”というやつです。

これは“スマホを使う人”ではなく、“スマホに使われている人”…あんな小さな画面に人生を乗っ取られてしまった人がやってしまう行為です。

一瞬の油断が悲惨な交通事故を招きます。

これは車の運転中も自転車乗っている時も歩いている時も…信号を待って立っているだけの時でも同じです。

これは以前だと、子どもの頃に家庭や学校でキツく教わったことです。

でも、今の時代は“ながらスマホ”の問題があります。

スマホやカーナビを使い“ながら”の運転は、道路交通法違反です。

罰金や免許停止などの罰則があります。

携帯電話使用の場合と、使用なしとで比較すると死亡事故率(死傷事故に占める死亡事故の割合)が約4倍近く違うと言われています。

ドライバーはカーナビやスマホの画像を2秒以上見続けると危険を感じるそうです。

僅か2秒と思われるかもしれませんが、時速40kmで走行する自動車は1秒間に約11m、2秒間では約22m進みます。

時速60kmで走行する自動車は1秒間に約17m、2秒間では約33m進みます。

もし、その間に歩行者が道路を横断したり、前の車が渋滞などで停止していたら、避けることはほぼ不可能です。

ほんの一瞬だから…という自分勝手な考えが、重大事故を起こしてしまうということです。

“ながらスマホ”による事故は、自動車の運転時だけに限った話ではありません。

歩き“ながら”や、自転車に乗り“ながら”による事故も増えています。

“ながら”事故による救急搬送は年齢別に見ると、20代が1番多く、全体的に見ると20歳代から50歳代の救急搬送が多くなっています。

“ながらスマホ”に関わる事故種別ごとの救急搬送人員は、転倒事故が最も多く、全体の約4割を占めています。

次いで、ぶつかる事故、転落事故と続きます。

1つ間違えれば死亡事故にも繋がります。

自転車を運転しながら、また歩きながらスマートフォンを操作する“ながらスマホ”はとても危険です。

みんなパンチドランカーみたいにフラフラ歩いていますし、急に速度が変わったり、体当たりしたりと、周囲を歩く人は対応に困ります。

画面に意識が集中してしまい、周囲の危険を発見することができないで、思わぬ事故に繋がります。

絶対にやめるべきでしょう。

もし、運転中にスマホ等を使用しなければならない時は、必ず安全な場所に停車してからにした方が良いです。

スマホ中毒の人が増加しているのは、日本だけの話ではありません。

先進国と呼ばれる国の多くで増加しています。

日本はまだ先進国として扱って良いのかな?

現在、人がスマホに触れる頻度は10分に1回と言われています。

1日に2時間を超えてスクリーンを眺めると、鬱のリスクを高めると言われていますが、現在の人たちは平均4時間は眺めているとのことです。

10代の若者の約2割は1日に7時間もスマホに費やしています。

学習現場では、スマホが近くにあるだけで学習効果、記憶力、集中力が低下し、学力低下すると言われています。

スマホの使い過ぎによる弊害として挙げられるのが、物忘れが多くなる、うっかりミスが増える、思考力や判断力の低下、感情コントロール力の低下、自律神経の乱れ 等です。

スマホで調べ事をするにしても、目的を持って、得た情報は自分の中で整理する必要があります。

そして、手書きでメモに残したり、本や辞書で情報を探したりする習慣も重要です。

あとはしっかり寝ることが必要です。

寝る時間として良いと言われているのが、6時間以上8時間未満です。

スマホは使い方次第で能率アップに繋がりますが、使い過ぎはかえって能率を悪化させます。

健康を維持する為にもスマホを手放す時間を意識して設ける必要があります。

そもそも、スマホとは…ということなんですが…。

スマホはスマートフォンのことです。

日本では“フューチャーフォン”とか“ガラパゴスケータイ(ガラケー)”など、多機能携帯電話のことを言います。

また、スマートフォンという名称はSmart(賢い)とPhone(電話)という2つの言葉からきています。

多様機種携帯電話は、通話以外にもインターネットやディスプレイをタップして使用できるものを言い、携帯電話とパソコンの中間のようなものです。

2007年にスティーヴ・ジョブズさんが発表した初代iPhoneは世界初のスマートフォンではないのですが、タッチ操作をしたり液晶画面全面がスマートフォンとして成り立っていて、現在のスタイルを生み出し定着させました。

ジョブズさんは当時の音楽プレーヤーや携帯電話への不満から、開発途中のiPadからヒントを得てiPhoneを開発しました。

iPhoneが誕生するまではスマートフォンはブラックベリー、音楽はiPod、スケジュール管理は手帳といったように、用途によって使い分けていました。

iPhoneの誕生によって、それらのことが1台で完結できるようになりました。

コンピューターであると同時にカメラ機能やGPS端末、音楽プレーヤー、財布、生活において必要な様々な役目を担うようになりました。

そして、Androidが2008年に誕生しました。

iPhoneはApple社、AndroidはGoogle社が提供するOSです。

現在あるスマホの誕生を2007年と考えると、17年が経過しました。

そのスマホに人が心を奪われて支配されるようになって10年近くということになります。

スマホを使う人とスマホに使われている人(スマホに支配されている人)の違いは、目的を持ってスマホを使えているかどうかだと思います。

何かを調べる為にスマホを使う、リラックスする為に動画を観る、他者との交流を有意義なものにする…等の為にSNSを使うことができている人がスマホを使う人です。

スマホを使っている時に何の為に使っているのか目的意識があり、人生をより良くしようとスマホを活用している人のことです。

逆に、何の目的もなく何となく無意識にスマホを使っている人が、スマホに使われている人、スマホに支配されている人です。

“歩きスマホ”などの“ながらスマホ”が社会問題になってしまうののは、目的を持って生きることが難しい時代になってしまっているからと考えることができると思います。

第2次世界大戦後の日本では社会復興という目的があり、その後は、車を持つ、マイホームを持つ、大企業に就職する等の、社会全体として何らかの共通の目的…基準がありました。

しかし、バブルが崩壊し物理的な物を手に入れても幸せを感じられないと認識し始めた時期にスマホが登場しました。

将来のことを考えるよりも目先のこと、目の前の楽しいコンテンツを見ていれば良いと考える人が急増しました。

それが現代の日本だと思います。

希望を持てないという状況は目的を持てないということです。

目的がなければ思考も感性も基本的に必要がなくなるのかなと思います。

でも、その状況が続くと不安が増大します。

不安を紛らわせる為にスマホに依存しているのかなと思います。

そこで本日の本題…ドゥームスクローリングについてです。

ヘヴィメタルの曲名になりそうですが…。

Doomは“悪い運命、悲運、破滅”というような意味があります。

Scrollは、パソコンやスマートフォンで一画面に収まらない情報をスライドさせながら表示させる方法のことです。

ドゥームスクローリングという言葉は不安な…、又は悲惨な物事に関して限りなくスマホなどで情報を探り続けるという行動です。

この行為は不安や恐怖をより増大させて、心の健康を損なってしまう可能性があります。

知識や情報の量が自分の容量を超えてしまうことで、自分を追い詰めてしまいます。

片時も手から離すことができない“ながらスマホ”の常習者の方は気をつけた方が良いと思われます。

こんな希望を持ちづらい状況が日本では30年以上続き、その上でコロナ禍となり、世界では戦争もエスカレートし始めて、核による威嚇も冷戦時よりも子どもの喧嘩のようになって派手になってきました。

より一層、先が見通せない状況になっています。

生きていく目的を持つことが凄く難しい時代です。

そんな時代を象徴するのがスマホなのかもしれません。

第2次世界大戦後から高度経済成長期の日本は、復興と発展という共通の目的に向かって突き進んでいたイメージがあります。

国、社会が一丸となって前に進む感じなので、ひとりひとりが自分の目的を持てなかった時代だったとも言えるかもしれません。

今は先が見えない時代なので、逆にひとりひとりが自分にとっての目的を持つことが大切になってきます。

そこから、多様性が生まれます。

それを尊重し合えるかが重要になってきます。

自分の目的を持ち、現実の人生と向き合うことが大切だと思います。

その為にスマホを使い、AIを活用する…そもそも便利な道具は目的があって作られたものだと思います。

逆にスマホやAIに支配されていては、残念な話です。

あくまで道具なので、そこから得た情報を自分で考えて整理する必要があります。

こんな小さなスマホ画面の世界だけの中で生きるのではなく現実を見ること、AIに人生を委ねるのではなく現実に向き合って目的を持って生きていくことが求められます。

何度も言いますが、スマホもAIも、ただの人生をより良くする為の道具です。

といったところで、本日のお勉強を終了します。


写真はいつの日か…喜茂別町から眺めた双子羊蹄(羊蹄山と尻別岳)を撮影したものです。

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