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学習の遅れと学習指導の話

別室登校立ち上げのあれこれ

長女のぴこは、小学校1年生の3学期から、学校への行き渋りがはじまっている。

2年生の1学期は、ダマしダマし登校させていたものの、午前の早い時間から、両親の職場の電話に『お迎え要請』が頻回に学校からかかっていた。

どうしたものか…と憂鬱な気持ちで2学期が始まると思っていた。
しかし、ぴこ2年生の夏休みが明けるころだ。
校長先生が、不登校児童や、学級活動がどうしても困難な子どもたちに向けて、職員用の会議室を開放し、『別室登校』を学校として公に実施しますとお話して下さった。

この別室登校立ち上げの裏には、母の戦友(不登校を一緒に戦ってきたママ友)の尽力があったと母は強く思っている。

戦友の子も、理由があって学校に登校できない日々が続いていた。けれど戦友の子は、“学校に行きたかった”そして、“勉強をしたい”と強く思っていた。けれど、“どうしても教室には行けない”と言うのだ。

戦友は「教室に行けないだけで、この子が求めている義務教育が奪われるのはおかしい。教室以外で学べれば何の問題もないじゃないか。」
と立ち上がった。
(コロナ明けではあったものの、ICT教育は、私たちの暮らす市では、行き届いておらず、学校に行く以外の選択肢は無かった。)

まず戦友は、小学校へ直談判をする。
教員不足で、学習を個別で教える人を割くことができない。
教員の目が届かない所では、子どもの安全が保障できない。
と現場ではドン詰まっていた。

戦友は不登校の適応指導などをしている市の教育センターへ電話をかけ、事情を説明する。しかし、
「学校の設備や機能に関しての相談(別室を作ってほしいなど)は、教育委員会となります。」と言われる。
そこで市の教育委員会に電話をする。教育センターと教育委員会は単独の機関となっているようで、話が通っていない。
また一から事情を話すと、
「不登校に関するご相談は、教育センターが管轄となっております。」
と言われてしまう。
「今!!!教育センターに同じ話をして、教育委員会にって言われたんですけど!!!」
戦友は憤怒していた。

そんな戦友の熱い思いが学校を動かした。
教育委員会への提言が学校を動かしたのか?思いある校長先生の追い風となったのか?校長先生の元々持っていた構想だったのか。
教育畑の事情は分からないが、我が家にとって光明だった。

ぴこは、夏休み明けから立ち上がった別室登校の享受をうけることになる。
(戦友、ありがとう。あなたの行動は、教室に入ることが出来ない多くの子を救っています。)

別室では、朝担任と打合せをして、学習支援員の先生が、子どもと一緒に一日のカリキュラムを立て、担任からおろされたプリントをやったり、ドリルを進めたり、図書室で過ごしたりしていた。

各学年から児童が集まり、別室利用児童数は平均で4~5人。学習支援員の先生や、特別教育支援員の先生や、退職後の再任用の先生、相談室の先生など、教員は手の空いている人が、入れ替わり立ち替わり子どもを見ていた。

そんななか、ぴこも他学年とコミュニケーションをとりながら、マイペースに勉強を進めていた。

学習指導と休み時間

別室登校している子の中には、学習進度が学年から遅れている子もいた。
ぴこもそのうちの一人だ。
教室で落ち着いて学習ができないのだら、よっぽど精神力強く、目標やノルマを定めて勉強を進められる子でなければ、遅れてしまうだろう、と個人的には思う。

別室に関わる先生には、正義があった。
この子を教室に戻してあげたい。
そのために、丁寧に学習を見て下さっていた。ぴこには、マンツーマンで先生が付いてくれていた時間が多くある。とても感謝している。

しかし、ぴこは、学習をゆっくり吸収していくタイプのようだった。
鉛筆の運びも少し不器用に感じられた。国語の教科書を飛ばし読みしてしまう。計算も指を使ってゆっくり確認しながらやっていた。

ある日、別室で、担任に出されたプリントをぴこはぴこなりに一生懸命解いていた。しかし、なんせゆっくりなぴこだ。終業のチャイムが鳴っても終わらない。

別室でぴこと関わっていた先生はぴこに言った。
「ぴこちゃん、このプリントが終わったら、休み時間にしましょう。」

そこへ、休み時間にぴこの様子を見に、クラスメイトのぴこの友だちが別室に顔を出した。「ぴこ、遊ぼう!」と。

先生は言った。
「ぴこちゃんは、まだ勉強が終わってないから、ごめんね。」
そこにぴこが口を出す隙は無かった。

ぴこは、絶望した。友だちと遊べなかった。

ぴこは、涙を堪えて、プリントを解き切った。
「先生、終わりました。遊びに行きたいです。」

先生は言った。
「もう、授業が始まっているから、遊びに出られる時間ではありません。」
ぴこがプリントを解いてるうちに、休み時間は終わって、次の授業時間となっていた。

母は、この話をぴこから聞いたとき、ぴこの思いと、先生の思いをすごく考えた。どうしたら良かったのだろう。すごくモヤモヤした。

母が出した結論は、
『休み時間は子どもにも先生にも保障されて良いのではないか』
という事だった。チャイムが鳴ったら、ぴこは遊べば良かったし、先生はお茶でも飲みにぴこから離れたらよかった。
良い仕事をするためには、よく遊ぶことが大事!という時代の流れだ。
働き方改革。

母が、親戚のおばちゃんにその話をしたことがあった。返ってきた答えは母のモヤモヤの答えだった。
「ぴこの気持ちはわかるけどやぁ。。。休み時間返上でぴこに付いてやったのんに、親からそんな文句言われたら、先生適わんわぁ!!先生、報われんねん!!」
と。
そうだ。先生はには正義があった。ぴこをなんとかしようという愛情を母も感じていた。

しかし、結果ぴこは「勉強させられる」という不安感を強めた。
休み時間の遊びを奪われたと感じているぴこが、果たして次の時間、モチベーション高く勉強ができただろうか?切り替えが簡単にできる子だったら、とっくに教室に行けているはずだった。
モチベーションの低いぴこを立ち上がらせる大変さは、母は経験上とても良く分かっていた。先生は、さぞかし消耗したのではないかと想像する。

別室には、そんな“思いの行き違い”が頻繁に起こっているように見えた。

学習指導と学年相応

ぴこは、不登校をこじらせ、二次障害を発症していた。自分に自信がない。イライラを抑えられない。こんな自分じゃいけない。
沢山泣いて、沢山怒って、沢山苦しんでいた。

しばらく学校を休んでいたのだが、兄と妹が学校へぽちぽち行く日々が続き、「ぴこも学校、久しぶりに行ってみようかな。」と言い始めていた。

母は不安定なぴこの様子を日々見ていて、ぴこは“ねばならない”が強すぎると感じていた。ぴこが安心して休めるように、
「学校に行かなくていい。まずは元気になること!学校には行っちゃだめ。」
と声をかけていた。
ぴこの「学校行こうかな」には、本当は学校に行ってほしい親に気を使って言っているような、確信のなさも見て取れた。親の表情を伺っているような。兄妹を学校に送り出した後の親の安堵が、ぴこに伝わり、ぴこの劣等感を強めていたのかもしれない。そう母は思っていた。

しかし、朝散歩の流れで学校の方向に歩いていた時。(我が家は最近、健康な心身を家族で取り戻すため、朝に家族で散歩しはじめていた。)

「ぴこ、学校行く。」
とぴこが言った。朝散歩なので、もちろんランドセルは背負っていない。完全な手ぶらだった。筆箱もない。

母は迷ったが、応援することにした。行っておいで。キツくなったら、すぐ迎えに行く。そう約束をして送り出した。

お昼ごろ、学校から電話が来て、迎えに行った。
よく頑張った。そう沢山褒めてあげるつもりだった。

声の高い、元気モリモリの先生がぴこと玄関に出てきた。
先生は言った。
「ぴこちゃんと今日、漢字を少しやりましたぁ~!!」
母は、勉強まで出来たんだ!と正直に驚いた。ぴこもちょっと嬉しそうだ。自分を肯定できる、久しぶりの頑張りだった。
母がぴこの頭を撫でていると、先生が面白おかしく言った。
「ぴこちゃん、この漢字が書けないの!(笑)これも!これも!ぜーんぜん!もう重症~(笑)」
母は喉元がキュッと締め付けられるような思いがした。そのことをぴこに悟られないように
「だって~(笑)」
とぴこを肘で小突いた。

頭の中はフル回転だった。なんて言えばいい?
『頑張ろう。』違う。今まで勉強に手を付けられないほど、別の事に悶え苦しんで脱しようと頑張っていたんだ。
『大丈夫だよ』言えない。先生の前で、そんなこと言ったら、この親は能天気に子どもの学力を心配していないと思われるだろう。
『家で練習しよっか。』いや、勉強にリソースを割く余裕があるか?この言葉が呪縛となって、家で勉強できない自分をまたこの子は責めてしまうのではないか。

結局、母は先生の前で、ぴこに言葉をかけることが出来なかった。
先生を納得させて、ぴこも肯定するような言葉を探せなかった。

学年相応に漢字が書けていないのは、“重症”なのだろうか?
学校に行った。社会と繋がりをもってくれた。それだけで涙が出るほど誇らしかったのに。

学校ではこんなことばかりだ。
ぴこは、とても劣等感を煽られる。
母も、「親なのに家で勉強見てあげてないんですか?」という暗黙のプレッシャーを感じる。

「お宅のお子さん、勉強遅れてますよ?」
親が知らないとでも思っているのか?親が心配していないとでも思っているのか?親が何も考えてないとでも?

ちょっとまってくれよ。私は親だぞ。
先生。親だって勉強させたいよ。学んでほしいよ。今まで精一杯やってきたんだよ。勉強に対して癇癪起こす子どもを、自分の感情殺して、いっぱいいっぱいになりながらここまでやってきたんだよ。
母には無理だったんだ。勉強を見るのは。親子の関係が悪化してしまうんだよ。

先生。子どもたちに、勉強の仕方を教えてあげてください。
勉強の楽しさを教えてあげてください。
新しいことを知る喜びを、どうか教えてあげてください。

「あなたは遅れている。」
「ここが間違っている。」
そんなことは、言われなくても、本人が一番わかっているし、一番気に病んでるんだ。助けてよ、“先生”でしょ?

母は、現時点、家庭を守ることに決めている。子どもに勉強をさせることで、家庭の中でギスギスしたり、プレッシャーをかけたり、親子ともに、とても苦しい思いをしてきた。
だから、勉強は本人の自由意志に任せている。スマイルゼミや、学年のドリルは用意している。鉛筆も削って置いてある。
勉強をやっても、やらなくても、穏やかに過ごすことを母として最低限の約束として、自分に言い聞かせている。

自分への教訓

  • みんなが気持ちよく過ごせるように、休むこと。

  • 子どもにプレッシャーをかけ過ぎないようセーブする。





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育児日記

学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。