見出し画像

不登校児の親と薬

はじめにお伝えしておきたいのは、『不登校児の親薬』というような、効能が期待できる教訓めいた話は一切ない。我が子の状態と、私の薬遍歴から得た見解をお伝えしたいと思う。

市販薬でやり過ごしていた時期

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、絶賛不登校・不安定登校の日々だ。

不登校には4段階ある、なんて話は調べればすぐに出てくるが、不登校の子どもが3人ともなると、親は絶えず『混乱期』だ。

一人が上向きでも、一人が落ちている。
誰かひとりを支持して応援したら、残された子たちが劣等感を抱えて不貞腐れている。

『子どもをよく観察して!親の適切なアプローチが回復のカギ☆』
そんな文章を腐るほど読んできた。

一人一人を観察し、分析し、アプローチできれば、一番いい。けれど、子ども3人に対して、親は2人だ。“絶対数”が足りない。
しかも、この不登校の表には、きょうだいの相互作用は書かれていない。

誰かを立てれば誰かを落とすような、兄妹という人間関係へのフォローが親には必要だ。どうすりゃいい?誰か教えてくれ!!と切に願っていた。

そもそもちぃが、不登校になった原因は、
「お兄ちゃんとお姉ちゃんばっかり休んでてずるい!!」というものだった。
両親は焦った。
「ちぃはちぃとして学校に行くの!兄姉が行かないことと、ちぃが休むことは何の関係もないよ!」
何度も説得して、引きずって登校させたが、活発で弁の立つちぃは、兄妹を引き合いに出してくる。

「どうして、お姉ちゃんは休んでいいの?ちぃはぴことずっと一緒に居たい!」
ぴこは、『学校が怖い』と頑なで、とても登校できるメンタルでは無かった。ちぃには、姉を救いたい、支えたいという思いがあった。家庭内でも情緒不安定なぴこを見ていて、「どうしたの?大丈夫?」とぴこに声をかけるのはちぃだった。

「どうしてお兄ちゃんは学校に行かないの?家でYouTubeみて、ゲームしてるんでしょ?ちぃだってYouTube見たいよ!!」
たこは、『システムが嫌だ』と感じており、自分にとって有益であるとは思えない時間に辟易していた。座って受け身で授業を聞く45分が苦痛だった。脳内トリップしては、「また、ボーっとしてる!聞いてください!」とトントンと先生に肩を叩かれていた。

両親は、学校に行かない選択をしやすくなっている子どもたちに疲れていた。親の方が寝ても寝ても、疲れが取れない。子どもとの朝の押し問答を思うと、気分が落ちる。
リポビタンDをグッと飲み干して、気合を入れて子どもたちを起こす日々が続いた。

しかし、そんな日々も長くは続かない。母は、過緊張から不眠を誘発してしまう。布団に入って考えてしまうのだ。
「6年生、明日テストだって、クラスルーム(配布端末への一斉メール)でお知らせ来てたな。明日、たこは学校行ってくれるかな。」「明日は雨か。登校に3割増しで時間がかかるから、いつもより早く起こさなきゃ。車で送っちゃったら、癖になるかな。」

そして、重たい朝がやってくる。子どもたちは布団から出てこない。起きているはずなのに、包まり続けている。母は寝不足で元気がない。けれど、子どもを学校に行かせて、自分は仕事に行かなければならない。

寝不足から片頭痛を発症し、痛みで目を覚ます。7時には活動開始しないと色々間に合わない。朝の5時にロキソニンを服薬する。
脈打つこめかみをなんとか誤魔化し、子どもを叩き起こして学校に引っ張る日々だった。

夫の大病・母の病欠

そして、親も子も、一息つける夏休みに入る。
夫は、1学期、子どもの行き渋りに付き合い、会社をかなり遅刻していた。更には、学校リタイアのお迎え要請にも、夫が仕事を抜け出して対応していた。
夏休みに入り、夫は登校・お迎えの縛りから解放され、仕事に邁進した。

しかし、夏休みのさなか。夫が脳出血を起こした。
その日は、子どもの不登校の原因を探るための、発達相談に家族で来ていた。
「なんか、フラフラする。」と体力自慢の夫がベンチに腰をおろす。
「熱中症にでもなったかな?」と母はポカリを買いに走る。ポカリを手渡し飲んだ夫の唇の左側から液体がこぼれていく。
「え??大丈夫?こぼしてるよ。」言われて気が付いた夫に、危機感を覚えた。「ねぇ?脳じゃない??」

夫はそのまま入院となった。
医師から告げられた原因は、「過労とストレス」
そんなもん、ずっとそうじゃ!夫も私も、泣きそうな気持を押さえて、「ほんとだね。」と笑った。

2学期になった。夫は無事に退院していた。
夏休みの良い習慣を残そう!と、9月も家族でラジオ体操をしていた。
嫌々起きてくる子どもたちに、「ラジオ体操しないやつが一人でも居たら、連帯責任で1日メディア禁止!」と強制執行していた。

9月も終わるころ。ラジオ体操も6時半には行うことが出来ず、YouTubeで7時半ごろ行っていた。結構みんな気力の限界で、ラジオ体操で振り上げる腕も、低い位置でなんとなくこなしていた。
ラジオ体操第一の終盤「♪開いて閉じと閉じて123♪123♪」のジャンプして腕と足を開閉していた時。
母は、猛烈な吐き気に襲われた。動くことが出来ない。
ジャンプができずに座り込んでしまった。何だ?何が起きた?母は混乱したが、仕事に行けないことは明白だった。そこから2日間休みをもらった。

3日目の朝、やはり具合が悪い。吐き気と頭痛がひどい。寝ていても治らない。母は病院へ行くことにした。
そこでの医師の判断は、「病欠を取った方が良いね。」というものだった。

母は、パニックになった。母は、仕事に行っている時間だけが、唯一『不登校の子どもの親』という呪縛から解き放たれた、子どもの事を考えない時間だった。母にはそれが必要だった。

母は「仕事に行ける薬をください!!」と詰め寄った。
しかし、医師は言った。
「あなたはストレスで壊れる寸前だ。仕事にも必ずストレスはあるでしょう。子育ては休むことが出来ないけれど、仕事には休める制度があります。少し余裕を作りましょう。」

医師は更に続けた。「このまま頑張ってしまったら、行きつく先は、“鬱”もしくは“胃潰瘍”もしくは“心筋梗塞”です。そうなってしまっては、治すのに時間もかかります。今、休むことをオススメします。」

『睡眠薬』と、『頭痛薬』。緊張でガチガチになった身体を緩める『筋弛緩薬』、グルんグルん巡る思考を落ち着かせる『抗不安剤』を処方された。

母は、病欠申請を職場に提出した。

漢方薬への興味

病欠をとってしばらく経つ。
復帰の目処は全く立っていなかった。

冷静に自分の状況を振り返る。1日に必ず7錠の薬を服薬している。
それでも眠れない。それでも過緊張。
頭痛が発生した日には服薬量は10錠を超えていた。
ジャンキーだなぁ…。漠然とそう思った。

親戚のおじちゃんが酒を飲みながら話していたことを思い出す。
「オラァ、なーんも薬飲んでませんからね!65(歳)だじぇ!!みーんなそれ聞いて、びっくりしますからね!!ハハハハハ!!」
陽気なおじちゃんだ。

その時は「良いなぁ。私は四十を前に、薬漬けだよ。」と遠い世界の事として思っていた。

薬を飲んでも、全然体調が優れない日々が続いていた。そして、ついに一週間寝込んでしまった。
頭が痛くて痛くて立てなかった。頭痛薬が効かない。痛み止めのロキソニンを摂取限界量の3錠を既に飲み終わっている。片頭痛の特効薬スマトリプタンも、もうすぐ限界の4錠に到達する。最後の1錠が効かなかったら、死んでしまう。痛くて眠ることも出来ないんだ。

きっと、根本的に私はダメだ。
時間はかかるかもしれないけれど、体質を改善しなければ。
対処療法で逃げてきたけど、それが効かない。追い詰められた。崖っぷちだった。

死んでたまるかー!!!背水の陣で漢方外来の門を叩いた。
助けてください!!やれること全部やって、飲むもの約束守ってちゃんと飲んで、それでもダメなんです!!!!

漢方の先生は、まず私の舌を見た。
「すごく、ストレスが溜まっている舌をしています。」
第一声がそれだった。

続いて、触診。あばらの辺りを指で押された。激痛。
骨盤の辺りを指で押された。これまた激痛。吐きそうだ。
そして、指の腹で、胃の辺りをポンポン叩いて弾ませた。ぎゅるるる。お腹が鳴る。そして吐きそうだった。

漢方の先生の診断は、『気虚』というものだった。
身体の中のエネルギーが枯渇している。そして、すべての『気』を取り込む胃腸が、壊滅的に機能低下している。と。

「西洋薬は、効きますか?」
と言われて、「あんまり、効いている実感はないです。」と答えると、
「人間は全て胃腸から吸収します。栄養も、薬の効能も、気も。この胃腸では、何も吸収できませんよ。」
ほぅ~~と深く納得した。だからなのか、と。

漢方薬をいくつか処方されたが、
「量は、自分に合うように、飲む回数など調整してくださいね。」と言われた。私は、激しく下したり、全く音沙汰の無い排泄を観察し、日々過ごしている。

漢方の先生が診療の最後に言った。
よく、こんな状態で、今まで頑張ってきましたね。
その一言で泣きそうになった。というか、会計まで必死で我慢して、車で泣いた。

帰宅後、夫にその話をすると、
「俺、あんまり漢方信じてないんだよね。へーさん(私の事)見れば、ストレス溜まってて、胃腸が弱ってるって、占い師も言うよ!いっつもゲッソリしてるもん!あははは☆」

こいつ、言ってくれる。と思いながらも、確かに。と鏡を見て納得する。しかし、背水の陣で飛び込んだ漢方だ。続けてみようじゃないか!!

追記
漢方の影響で、日本海のような大シケと、無風の凪を繰り返す胃腸を受けて、YouTubeで腸活を見始めた。

食べるものが大変に大事だということを学ぶ。
そしてふと思い出す。薬を飲んでいないおじちゃん家の夕飯を。そこには、おばちゃんが作った品数の多い食事が並んでいた。

自分への教訓

  • ストレスを溜め過ぎず、勇気をもって休むこと。

  • 体質改善、根本治療は、食べるものから。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。