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白か黒かではないと思う

「良いか悪いか、悪いは徹底的に排除する。それが令和。」
どこかで誰かが発言している言葉をふと思い出す。

ものすごく皮肉たっぷりに今をとらえているなぁと
思いつつも怖いなーともやもやぞわぞわする。笑

白か黒だけではないはずなのにね。
徹底的に排除する、晒し上げる
怖いよー本当に・・・。

***

何か問いを立てた時に、
その答えって人の数だけある
人の数だけある答えが最終的に
黒か白かで分けられるのだろうか?

答えを用意すれば、二つに分けられるとおもう
だけど、そもそもその答えが用意されていて
その二つしか選べないこと自体がなんだか
私の中に???????モヤを残す。

結局冒頭の「良いか悪いか」も
そこには誰かの価値基準が存在するから
「良いと悪い」が生まれるだけであって

そのことについて良いと思う?悪いと思う?
という問いを仮に立てたとしても
それをわざわざ誰かに向けて
「悪いと思うから消えろ」
というのは何だか違う気がする。

「悪いと思うから、私の中では消えてもらおう」と
そっとその場を離れるだけで良いのになと・・・

***

誰もが自分の意見を持っているし、
考えを表現することはとても大切だとおもう。

いまこうして、私自身も自分の意見や考えを持ち
この場を借りて表現をしている。

誰もが自分のプラットホームのようなものを持ち
発信できるようになった時代。
自分が発する言葉が誰かを傷つけてしまうリスクが
いつでも存在してくる

自分の中にどっしりとした自分軸を育てるのは
とても大切なこと。
自分の人生を自分で操縦していくためにも
とても重要な一つであると私は思う。
だから自分の思うことを、価値観を
大切にし、発信することもまたとても大事なこと。

ただ、意味を履き違えてしまうと
人に自分の思いや価値観を押し付けてしまって
傲慢な人になってしまう可能性もある

それって境界線が曖昧になり過ぎている証かなと
ふと思ったりする


自分の価値観の中だけで生き、
それを他者に、環境に、押し付けてはいないか?

相手にも自分と同じように大切な価値観があることを
考えられているだろうか?

相手と自分との境界線を引けていないと
相手を尊重することもできなければ
自分のことも尊重できなくなってしまう


情報が大量に溢れ、
ネットでの交流が盛んになって
他者が見えない状況でのコミュニケーションが多くある

気づけば、相手は自分と同じように命を持っている人間である
ということすらも忘れ、
面と向かっては言えないことを
言葉にして相手に畳み掛けているかもしれない

そういう人は決まっていう
「相手のためだ」と。

自分と相手との境界線が
ぐちゃぐちゃになっているなと想像できる。

***

いつだってどんなときだって
外側に目を向けるのではなく、
内側の「自分」に目を向けていれば

白だ!!いや黒だ!!!
黒こそが正義だ!!白を排除しろ〜!!!!!
とはならないと思うんです

白もあるし黒もあるしなんなら
きいろじゃー!!!ピンク!いや青かなって言ってる人もいる
みんなそれぞれに考え方がある

「あなたはそうお考えなんですね」

と一つ距離を置いて、境界線を引いて。

相手と自分の考えが違うからって
自分の考えが間違っているということでは絶対ない

あなたはそれ、わたしはこれ
ただそれだけなんだ、難しいけど。

周りの環境や人があまりにも自分とは真反対なら
環境を変えれば良いし、その人と離れれば良い

ただそれがすぐにはできない人もたくさんいるし
私自身だってそういう時の方が多い

その時にできるのは、
相手に批判や言葉の刃を向けることではなくて
自分の中に目を向けて心の声を聴きながら、
「私はそう感じているのねー」
と、自分の感覚を大切にみていくことなのかなと。

そうすれば
これはOK、これはNOを自分の中にしっかりと持てて
境界線を越えられることも、
相手のそれを越えてしまうことも
なくなるのかな、なんて。

chari







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