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らぶりー①

 まるであてつけだよね、とエリコはLINEでマイへ言ってきた。ハルとナミの葬儀についてだ。
『日取りをバッティングさせるなんてさ』
 マイが『色々あったらしいね、なんか』と応じるとエリコは『両方と友達って人はどうしろと』と息巻く。
『まあ、あたしはナミの方かな』
 チャット画面に表示されたエリコの一言はなんだか、ハンバーガーのセットについてAとBどちらを頼むかでも決めているみたいだった。文章は書き手の感情をいまいち伝えてくれない時がある。こっちも同じように軽薄だと思われているかもなと考えながらマイは『そっか』と返した。
『マイは行く?』
 明白なことだからだろう、エリコはどちらにかは略して尋ねてきた。エリコとは違い、マイにとってナミは、ハルの運転していた車の助手席でガードレールの向こうへ一緒に飛び出した仲の女というだけの存在でしかない。
『エリ先輩が行かないなら、良いかな。行く義理もないし』
 画面の数ミリ上で親指を数秒さまよわせてから『代理人として行ってほしいとかあります?』と付け足す。
『香典は他の子に頼むつもり。マイのもお願いする?』
『いや、良いです。なんか気まずい』
『了解』
 少し間を空けてからエリコはセレモニーホールの名前と住所、それから通夜と葬式それぞれの開始時刻を送ってきた。
『念のため』
 心の内を見透かされているみたいでマイは少し苛立った。エリコに対してというよりも、こんな態度を取ってしまう自分が嫌になった。意地でも出席してやるもんか、と決意した。
 通夜当日、マイは喪服姿で式場の案内看板を睨みつけていた。背後の県道を走る車の音でかき消されてしまう程の小さなため息を吐く。
 秋晴れだった日中から引き続き空気はからっと乾いていた。気温も落ち着いていて、過ごしやすい陽気といっていいだろう。湿っぽさの欠片もない。お似合いの天気だ、とマイは思った。今の自分の気持ちにも、ハルという人間にも。
 既に式は始まっている時間だった。会場から出てきたらしい人もちらほらといる。丁度いい頃合だ。目立たなくて済む。マイは堂々たる足取りで、嫌になるほど真っ白な建物の中へ入っていった。受付を済ませ、案内されるがまま焼香の列へと並ぶ。
 遺影は最近のもののようだった。ハルが髪型を短髪ツーブロックにしたのは就職してからのはずだから、少なくともここ半年以内のものだろう。マイにとっては馴染みのある出で立ちではなくホッとした。そこまで感傷的にはならずに済ませられそうだ。
 マイの番が回ってくる。無感情に礼を済ませ、焼香をあげた。そこで、遺影と目が合って一瞬、固まってしまった。こちらへ向けて光を放ってくるような明るい笑みに、思い出の中のハルの顔が重なる。
 嗚呼、そうだ。ハルが死んでしまったのだ。分かり切っていたことを実感して、瞳の奥から今日この時まで湧いてこなかったものが溢れ出す。不審に思われない程度に首を振って、マイはどうにかその場から立ち去った。
 そうしたわけだから、通夜振る舞いに立ち寄ったのは強がりに近い。御手洗で涙がこぼれていないことだけ確認して、なんてことはない、と足を運んだ。会場に入ってから、別に誰と話したいというわけでもないのにとマイは自嘲的に笑った。
 数人の知人となんてことのない会話を交わしたあと、半分くらいビールが残ったグラスを両手で温めながら、隅にある椅子に腰を下ろした。
 立食形式の通夜振る舞いで、参列者の大体は中央のテーブル周辺に集まっている。同じような雰囲気の人間同士が固まっていて、それぞれ何のグループなのか分かりやすい。ハルと同年代のグループは、ハルの友人知人だろう。ちらほらとだが、知っている顔もいる。老若男女バラエティ豊かなのは会社の同僚で、年配の人たちで固まっているのは地縁か血縁の関係か。
 眺めながら、自分はハズレ者だなとマイは感じた。本来は友人知人のグループにいるべきなのだろうが、そこに入る気にもなれない。別に彼ら彼女らと親しいわけでもないのだ。そもそも、ここにいるべきではないのかもしれない。
 腰を上げかけたところで「横、いい?」と声をかけられた。向くとまず、煙草の匂いが香った。
 知らない顔だった。
 ハルと同年代の男だったが、そこで固まっているグループの者とは雰囲気が違う。空気を含むように薄くパーマをかけた長めの黒髪に、長いまつ毛、気怠げな口元、既に緩めている黒ネクタイ、喪服の肩には薄く埃の線もついている。
 マイが返事をする前に男は椅子へ座った。
 きょとんとしているマイの顔を見てだろう。男は「ああ、ごめん」と微笑んだ。
「初対面でしょ?」
「間違いなく」
「ごめん、ちょっと話し相手がほしくてさ。寂しがりやなんだ、俺」
 マイは馴れ馴れしさにムッとして「知りませんけど」と返す。
「寂しいなら、あっちの……皆と話せばいいのでは」
「そうなんだけどね。でも、なんか違うなって。ハズレ者って感じがしちゃてね」
 マイは少しだけドキリとした。
「ハルの元カノでしょ? マイさん」
「……桐谷舞です」
「俺、オミ。ハルの親友」
「すいません。聞いたことないです」
「ハル、あんま紹介してくれなかったんだよね。俺のこと。ってか、俺が会いたがらなかったんだけど。だから、昔から知ってる人とかじゃないと、あのへんの人たちも全然知らない」
 オミは言いながら、会場のあちらこちらを指さした。マイは、随分と細いなとオミの指の方を見ていた。ハルの指はもっと骨ばっていて、ゴツゴツとしていたと思い出す。
「でも、あたしのことは話したんですね」
「うん、聞いた。なんで別れたのかは知らないけど。葬式来たってことは喧嘩したとかじゃなかったのかな」
 言い終わってからオミは「ああ、ごめん」と言ったが、心がこもっているようにはマイには聞こえなかった。
「義理で来てあげる程度の、別れ方でした」
 マイはビールの入ったグラスへ視線を落とす。
「ハルは一歳上なんで、あっちが就活で忙しい時のあとにこっちが忙しい時が来ちゃって。中々会えなくって、気持ち冷めちゃったかもってなった頃」
「ハルの方から話切り出した」
 ハッとしてオミの方を見ると、悪戯っぽく笑っていた。
「あいつ、上手かったよね、そういうの」
「そうなんですよね、本当に」
 マイの目に熱いものが溢れてきた。慌ててハンカチを取り出す。拭いている間、オミは何も言わなかった。ハンカチをしまって、赤くした顔を上げるとオミは「俺さ、寂しがりやなんだよね」とまた言った。
「三人兄弟の次男でさ、兄、俺、妹ね。こういうの、俺だけ親が構ってくれないんだよ。分かる?」
「まあ」
「構ってほしくなっちゃってさ。嘘吐いたり、危ないことしたりして、迷惑だよなあ、とは思うんだけどね」
 オミはそこでマイから視線を離した。部屋の中心の方へと顔は向けているが、何かを見ているというわけではない。強いて言えば、壁のもっと先を見ているようだった。
「だから、ハルが色々と構ってくれて、嬉しかったんだよな」
 マイは、オミのまつ毛が濡れて光っていることに気づいた。その向こう、切れ長の細い目が潤んでいる。吸い込まれてしまいそうな輝きだった。

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