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お題小説「夜寝て朝に起きる男と朝に寝て夜に起きる女」

 キスをする時間くらいは作れるはずだけれど、それすら随分とご無沙汰だった。
 俺がベッドに入る時に真紀はいない。深夜を回った頃にようやく布団に潜り込んできて、俺が目覚める朝には熟睡している。俺は起こさないように抜け出して、朝食を真紀の分まで作って、食べて、出勤する。帰ってきたくらいには真紀はもう出勤している。二分の一の確率で夕食が作ってある。
 コンロに火をつけて固まりかけていたスープの脂を溶かしながら、これは本当に同棲なんだろうかとふと思う。同じ空間を分け合ってはいても、その時間は重なっていない。同日にホテルの部屋を使っていても、デイユースで使う客と、ステイで使う客を一組扱いはしないだろう。
 その疑問は即ち、これは恋愛なんだろうかにさえ繋がっていく。この青臭い悩みはそのまま、俺は真紀のことは好きなはず、と照れ臭い自認へ流れる。じゃあ果たして真紀は、と、そもそもあいつは俺のことを好きだなんて言ったことあったかというなじりへ変わる。
 思えば利用されっぱなしのような気がしてくる。俺は何事においても後先をしっかり考える方だから、普通は乗せられることなんてそうそうないのだが、こっちの気持ちのくすぐり方が上手いのだ。
 同棲することになったのもそうだった。真紀はまず、ルームメイトが遠くに引っ越すことになったから、新しい物件を捜さなければならないと相談してきた。
「でも、なかなか見つからないんだよね。スナックのホステスなんて信用ないからさ」
「それは大変だ」
「その点、君は信用できる」
 真紀は細い指を立てて、悪戯っぽく笑う。細長の眼は普段はどちらかというと表情の読めない大人っぽさを醸し出しているのだが、こういう時は子猫の寝顔のように柔らかく、俺は正直、それに弱い。
「……名義貸しなんてしないぞ」
「借りたいんじゃないよ。貰いたいんだよ」
 そう言って立てた指をそっと動かし、俺の肩をなぞった。
 真紀の言葉の向こうに、今後の発展性を感じてしまい、後先考えずに俺は承諾してこのマンションの部屋を借りた。それから急に不安になる。なんというか、これの繰り返しだ。
 それでも、乗せられたままでも良いかと思ってしまうのが多分、駄目なところなのだろう。
 だから、あの突拍子のない提案も、俺はつい、頷いてしまった。
 俺が夜更かしをした夜のことだった。店から帰ってきた真紀の手に紙袋がぶら下がっていた。何かと問い質すと、真紀は笑った。
「ペットカメラ」
「はあ?」
「お客さんからもらった」
 テーブルや棚に設置できる小型のカメラだった。真紀の言う通り、家で留守番している犬や猫の監視に使うもので、スマホのアプリを使えば、リアルタイムでも様子が見られるし、録画したものを後から見返すこともできる。
「ペットなんていないだろ」
「いや、お客さんには犬を飼ってるってことにしてるからさ」
 真紀は俺の顎を撫でてきた。
「これ、あれじゃねえの。既にその客のスマホと連動するようにセッティングしてあって、覗き見できるようにセットされてるんじゃねえの」
「そんなことしない人だと思うけど、そうかも。調べて、初期化してくれないかな。得意でしょ?」
「使うつもりなのか?」
「うん」
「何に」
「良いこと考えたんだ」
 真紀が、よりかかってきて、俺の胸へ掌をつける。
「最近、全然時間つくれてないじゃん」
「俺は今から、その、しても、構わないが」
 本心で言うと「そろそろ寝ないと明日ヤバいでしょ」と真顔で返される。
「だからさ、こういうのはどう?」
 真紀は、俺の耳にそっと息を吹きかけた。
「このカメラで一人でしているところ撮り合うの。昼、わたしがするから……夜、それを使って。勿論、録画してね。次の日、今度はわたしが使うから」
 ――カメラのセッティングをした翌日、本当にスマホに『あなたのペットが動いています』と通知が飛んできた。何も考えず、職場でアプリの、リアルタイムの様子を閲覧するボタンをタップしてしまって、慌てて閉じた。
 その日はもう仕事にならなかった。
 家に帰ってくると真紀は仕事に出かけていた。
 ベッドのシーツが、いつもより乱れていた。着替えるとすぐ、その上に座り込み、イヤホンをつけてアプリを開いた。カメラの前で動きのある時間は、今日のハイライトとしてまとめてくれている。深呼吸をしてタップをした。
 何も身に着けていない、真紀の裸体が画面に映った。丁度今、俺が座っているところで、膝を開いている。俺は意味もなく、シーツを鷲掴みにした。
『見えてる?』
 真紀はそっと指を動かし、始めた。
 息が荒くなる。
 自分の股間に手を当てて、固くなっていることを認識して、慌てて顔を上げた。向かいの棚にあるカメラのランプがついている。録画されているのだ。
 変態だと思いながらも、俺も始めて、果てるまで体をレンズにしっかりと晒した。
 動画のやり取りは続いた。
 何度も体を重ねている相手だと言うのに、やたらと興奮してしまっているのが不思議だった。むしろ、だからこそなのだろうか。恋愛関係にある相手だろうとマスターベーションをしているところなんて見ることは普通ない。後、悔しいが、俺としている時よりも真紀は気持ちよさそうに見えた。
 何回目かの夜、それで不安になった。
 真紀が想っているのは本当に俺なのだろうか。
 急に冷めた。大体、こんな馬鹿馬鹿しいことをなんでしているんだ。もしかしてハメられているんじゃないか。真紀は今、店でリアルタイムで撮影されている俺の痴態を流していたりするんじゃないか。きっとこのカメラをくれた常連客とデキているのだ。俺を二人で嘲笑って……
 そこで喘ぎ声がとまって、ドキリとした。
 見ればスマホの中から真紀がこちらを見つめている。
 なんだろうと思っていると……真紀が、イヤホンを外した。それから、手元に置いていたスマホの画面をこちら、カメラの方へ見せる。俺の顔に血がのぼった。まさに陰茎を扱いている俺が映っている。
 真紀が笑った。例の如く。
 スマホをタップして、動画の音声を垂れ流す。俺が小さく喘ぐ音。『真紀』と呟く声。それに被せるように、真紀が、再開してくれた。俺の名前を何度も唱えながら。
 畜生、と思った。
 こいつはやっぱり乗せるのが上手い。何も疑念を晴らす要素なんてないはずなのに、俺は、良いか、と思ってしまう。
 翌朝、目を覚ますといつものように真紀は横にいた。
 俺が体に手を回すと、目を細く開けた。しばらく見つめ合っていると、真紀は布団の中へ引きずり込むように腕を伸ばし返してきた。俺は、そのまま体を寄せる。
 あったかい。

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