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らぶりー②

『つまり、ナンパされたってこと?』
 ハルの葬式から数日後、ことの次第をエリコに話したところ、まずそう言われた。例の如くLINEでの会話だったが、今回は画面越しにエリコの表情がはっきりと見える気がする。
『そういうことかもしれない』
 マイは自分でも発見したような気分だった。言われてみればそうだ。見ず知らずの人間に声をかけられ、連絡先を交換した。そうか、これはナンパだ。そう思うとマイは不思議に愉快な気持ちになった。感覚としては、ナンパされたという感触は一切ない。事象としてそうではないことは分かってはいるが、なんなら逆のような感じさえした。
 かもしれないじゃなくてさ、とエリコは言った。恐らくは呆れ顔をしている。
『気をつけなよ。知らない人についていっちゃ駄目だよ』
『そんな子供に言い聞かせるみたいな』
『ゼミにマイが来たとき、割とみんな親目線で心配してたよ』
 エリコは続けて『だからハルが持ってってくれて安心したわけだけど』と送ってきた。すぐにメッセージが取り消しされた。書いてから、少しセンシティブ過ぎるように感じたのだろう。既読マークはもうついてしまっていただろうに、とマイは苦笑する。こうしたところがエリコらしい。
 大学のゼミで先輩としてマイを出迎えてくれた頃からエリコはこうだった。行動力と気遣い力が両輪で動いているという感じで、時々片方の車輪が先走ってしまうこともあるが、どちらかがすぐにそれを止める。同様にゼミの先輩として出会ったハルと同じで、マイをぐいぐいと引っ張ってくれる有難い存在だ。
『でも、オミさんは拐っていくって感じじゃないから』
『なんか既にベタ惚れって感じが嫌だな。ろくな奴じゃないよ、葬式でナンパしてくるなんて。多分』
『多分ってことは、エリ先輩も知らないの? オミさんのこと』
 エリコはハルとはゼミの同級生というだけではなく、高校からの付き合いだ。ハルと一緒に死んだナミと付き合いがあるのも間にエリコを介した飲み会で二人が出会ったからと聞いている。そこまで思ってから、マイは自分自身に苛立った。やはり、ハルとナミのことを思うと、まだ胸のどこかが痛む。二人が付き合いだしたのは今年の夏、マイの就職活動が落ち着いた頃合いだった。
『知らない。マジでハルの友達なの?』
『それは間違いない』
 そうでないと、ハルについて話すときにあんな顔はしない。話を合わせて懐かしむフリはできても、失ってしまったものを求めるような、あんな繊細な顔はどんな役者でも詐欺師でもできないだろう。
『だとしても注意した方が良いと思うよ」
 エリコの警告は的を射ていた。オミは実際、注意しなければならないろくでなしだった。
 三回目のデートの日、マイは初めてオミの部屋で一晩を過ごした。
 ターミナル駅の隣駅から少し歩いたところにある、築浅らしく見える低層アパートの二階だった。室内に入ったマイはまず、頼りないと感じた。部屋に対して抱く感想としてはいささか妙なものになるが、この部屋で一人の人間が毎日生きていくという感触が余りに薄く、それに対して頼りないという言葉が思い浮かんだのだ。
 オミがここで生きているという意味での生活感は感じられた。部屋そのものはむしろ散らかっていたし、漂っている煙草や色々なものがごた混ぜになった臭いは、確かにオミが暮らしているという実感をマイへ与えた。問題は生きていく、の方だった。ゴミを片づけて、スーツケースに服や身の周りのものを詰めこんだら、後は何も残らないような感じなのだ。変に生活感がある故にスパイのような生活をしようと思ってそうしているわけではないのが分かり、だからこそ不安にさせられた。
 ハルの部屋はこうではなかった。オミと同様に散らかっていたが、そこには継続的なものがあり、マイが感じたのはこの、いつまでもハルの手元に置かれるお気に入りの品々に自分は入れるだろうか、ということだった。
 継続的であるか否か、といえばオミの就業状況も気にかかった。ハルやエリコと同い年で、かつ、大学に通っている気配もないので、恐らくは働いていなければならないのだが、どうにもその気配がない。いつでも連絡が来るし、連絡をすればいつでも返ってくる。お金がないわけではなさそうだから、何かしらはしているか、伝手があるのだろうが、とマイはこれまた常々不安に思っていた。この日、部屋の隅にウーバーイーツのリュックサックを見つけたことによって逆に安心した。
 翌朝はオミの方が先に起きていた。マイが目を覚ますと、窓際でオミが煙草を吸っている。
 指に、目が吸い寄せられた。薄明りの中だとオミの指はますます細く、かつ、白く見えた。その指に細長い煙草が挟まれている。
「ん。おはよう」
 オミはそう言ってからマイの視線に気づいたらしい。
「ごめん。臭い?」
「いや……なんか、めっちゃ細い煙草吸ってるなって」
 オミは「ああ」と傍らに置かれた箱をマイへ見せた。黒地に紫の光が描かれたデザインのものだ。恐らくはオミはこれで分かるだろう、というアピールのつもりなのだろうが、喫煙の習慣がないマイが読み取れたのはメビウスという銘柄らしい名前だけだった。ハルも、煙草は一切吸っていなかった。
 オミはマイの顔を見て苦笑した。
「まあ、女の子が吸うやつだよ」
「そうなの?」
「そう。昔の彼女に教えてもらった」
 聞いて、マイは眉をひそめた。
「ごめん。気になる?」
「意識は、しちゃう」
「分かった。マイと俺、二人きりの時は吸わないようにする」
 そう言いながらも、オミはやたら爽やかな香りのする煙を吐き出していた。その後、その煙草を吸うのをやめた気配もなかった。なんなら、マイの顔を見てから煙草を咥えることも多い。約束を忘れたわけではないとアピールしているくせに相変わらずメビウスを吸うという、マイからしたら意味不明なことをオミはするのだ。
 一つ一つオミとのことを振り返って考えてみると、やはりろくでもないと言わざるを得ない。生活能力がなさそうだし、定職にも就いていないし、約束も守らない。こうした短所を覆すようなオミの長所、というものについてもマイはいまいち思い浮かべることができない。
 それでもマイはオミに惹かれていた。オミといると楽しい、とマイは思えた。
 ちょっとしたことなのだ。たとえば、食事に行った時にマイは好きなものを好きなように頼める、と思う。ハルとはそうはいかなかった。良く言えばリードしてくれて、悪く言えば勝手にコースを含む予約をしてしまう人だったから、気になったメニューを少し頼む、ということを余りしていなかった。オミはなんなら、マイに任せてくれる。
 デートをする日やコースといったことについても、オミは合わせる方に回ってくれた。強いて言えば気を遣わなくても良い、自分のままでいていい、というところがマイが気に入っているオミの長所なのかもしれない。
 あと一つ、オミの好きなところとしてマイがはっきり言葉にできることがあった。
 オミはマイを掴んでくれる。
 頭を撫でたり、腰を抱いたりというスキンシップの際、オミは指を曲げる。爪が変に当たって痛い時はたまにあるが、そんなに力を込めているわけではないところを見ると、意識的なものではないのだろう。無意識にマイを求めて、ギュっと握ろうとしている。この僅かな感触の違いが、マイはなんだか愛おしかった。
 ハルはマイを撫でた。それはそれで嬉しい気持ちになったけれど、オミの触り方とはまた違う。
 まとめると、頼られているということがマイは嬉しいのかもしれない。自分がいないとどこかへ消えてしまいそうだからこそ、オミのことが好きなのだ。
 吸わないと言った煙草を生意気そうに笑いながら吸い続けるところは、ちょっと癪に障るけれども。

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