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お題小説「帰り路に寄った飯屋で女子高生と相席する事になってしまったサラリーマン」

 街灯に吸い寄せられる羽虫のように入ったマクドナルドだった。
 いつになく遅い退勤になってしまい疲弊していたのだろう。夕食をどこで済まそうかと思いながら歩いている間に会社の最寄り駅まで着いてしまい、途中で降りてあの店へ行こうかと思いを巡らせている内に次の停車駅は自宅の最寄り駅だとアナウンスを聞いた。
 大人しく家に帰って買い置きのカップヌードルでも食べようかと考えながら俺は地下鉄を降りて、エスカレーターを上がった。地上改札を出て雨が降っているのを見て気が変わった。傘を持ってきていないから、もう少し弱まるまで雨宿りをしたい。だから、目の前で看板と店内が煌々と輝いていたマクドナルドに誘われるがまま入店をした。
 思いのほか混み合っていたので、肩を狭く、鞄は足と足の間に軽く挟むようにしながら進み、窓際のテーブル席に腰を落ち着けた。テーブル番号を確認して、スマホで注文をした。決済が完了してから、何を頼んだっけ、と馬鹿みたいなことを思った。画面に表示されていた前回の注文をそのまま注文したのだろうと即座に分かり、自分のことが少し嫌になる。
 声をかけられたのはダブルチーズバーガーセットが到着して少しした頃だった。
「すいません。相席、いいですか」
 深く考えずに「はいどうぞ」と答える。向かいに座った制服姿を見て、ぎょっとした。
 濃い紺のブレザーに、同系統の色合いのチェック地のスカート、記憶が正しければこの駅の近くにある高校のもののはずだ。遅れて視線を上げる。知らない顔だが、当然ではある。高校生の顔見知りができるほど若くも、年寄りでもない。
「席、空いてますけど」
 時間帯にしては多いとはいえ、座る場所に困るような数ではない。同じ並びのテーブル席はそれぞれグループが占領していたが、奥に見えるカウンターには空きがあった。
「ここが良いんです」
 彼女は「ちょっと、事情があって」と顔を近づけた。長い黒髪が揺れて、わざとらしくない程度の香りが俺の鼻を突く。
「そうですか」
 いまひとつ釈然としなかったが、俺は手元へ視線を戻した。さっさと食べてしまおうとポテトへ手を伸ばした。
「お仕事帰りですか」
「えっ、まあ」
 ポテトを取り落としてしまった。
「お疲れ様です。遅いですよね。残業ってやつです?」
「ええ」
 頷きながら、唇の端が引きつくのを感じる。何のつもりだろうか。三十路手前の冴えないサラリーマンに女子高生が親し気に話しかけてくるのは、最早、不気味だ。
「普段はこんなに遅くはならないんですけどね。急なミーティングを午後に入れられたせいで、全部ずれこんで」
 言う必要のないことを言いながら、俺はもう一度、彼女の顔を確認する。やはり知り合いではない。
 そうすると――と冷や汗をかく。援助交際、パパ活、美人局。頭の中で幾つかの単語が駆け抜けていく。幼ささえ感じる肌の張りを見ながら、そういうことをする子には見えないが、とも思う。とはいえど、それは偏見か。実際、「大変ですね!」と大声で言う彼女の声は、どこかわざとらしい。
 立ち上がろうとトレイを持ち上げかけたところで、彼女の視線が実は俺へは向けられていなさそうなことに気づいて、振り向いた。窓ガラスには店内の景色が反射している。俺から見て左側、少し離れた席が映っていた。彼女と同じ高校の生徒らしい男女が座っている。
 俺は体勢を戻し、何も言わずに、その席を指した。
 彼女は一瞬、目を見開いてから「はい」と答えた。声を顰めてそのまま続ける。
「彼氏なんですよね」
 その席の二人へ、視線を走らせた。顔は流石によく見えないし、話も聞こえない。ただ、テーブルの下に置かれた濡れた傘は一つだけだった。
「部活の帰り、あの二人が一緒に歩いていっているところが目に入って、そのまま追ってきちゃったんです」
 俺は「なるほどね」と苦笑した。
「上手い具合に観察できる席がここしかないってわけですね。どうするの? これから。問い詰めるんですか?」
「……相手の子が誰かくらいは知りたいと思ってますけど」
 彼女は「自分でもよく分からないんです」と俯いた。
「とりあえず、二人が出るまで、一緒にいさせてくれれば」
 俺は「まあ、どうぞ」とコーラを口へ運んだ。
 目の前で青春をやられているな、とため息を吐いて、ぼんやり店内を見渡した。唇を歪めるように曲げた。
 しばらくして、例の二人が立ち上がった時、彼女は「あっ」と小さく言った。
 追うように立ち上がろうとしたので俺は彼女の腕を掴んだ。
「別に行かなくても大丈夫だけど」
「どういう意味ですか」
「さっきの話、嘘でしょ」
 彼女の体から力が抜けた。
「どうして」
「一瞬信じたけど」
 俺から見て右側へ指を向けた。俺が入店してからずっとたむろっている大学生らしい男たちの集団で通路が塞がれている。
「あっちは通れないから、この席に辿り着くには、あの二人の横を通らなきゃいけないんだよね。本当に浮気疑惑の彼氏なら、そんな危ないことしないでしょ。あと、君の髪や鞄、どこも濡れてない。傘をさしていたにしても変だよね」
 俺は振り返って、窓の外を見直した。駅の改札が見える。家路を辿ろうと早足で歩いている人たちの中に一人突っ立っている男がいた。二十歳くらいに見える。
「本当のお相手は、あの人?」
 半ば山勘で聞いた。彼女の視線が向けられていたのは俺でもなく、窓に反射していた店内でもない。だとすると残るは窓の向こうだけだ。
 彼女は体を縮こまらせて「ごめんなさい」と上ずった声を出して頭を下げた。
「そうです。あの人が、彼氏です」
「だとしてもいまいちよく分かってないんだけど」
「えっとですね」
 彼女は視線をこちらに向けないまま話し出した。
「本当に、申し訳ないんですけど、ちょっとした憂さ晴らしに付き合ってもらったというか」
「というと?」
「卓くん、今日、デートするはずだったのにすっぽかしたんです。わたし、駅で待っていたのに来なくって。やっとLINE来たと思ったら『ごめん、忘れてた』と言われて。今から向かうって言ってきたけど、もう夜じゃないですか。そんなところ来られるのも、犬みたいにずっと待ち続けていたって思われるのもなんだかシャクで。でも本当に来るのかは確かめたいなと思って」
「監視してやろうとマックに入ったと」
「その通りです」
 俺はため息を吐いた。やっぱり、青春じゃないか。
「出ましょうか。早いところ、彼氏さんを安心させてあげてください」
 ゴミを片付けながら彼女はもう一度「ごめんなさい」と言った。
「そんな謝らなくても」
「……でも、その、ただ、卓くんを監視したいってだけじゃなくって。お兄さんを利用しようともしていたというか」
「利用?」
「丁度わたしが席に着いた時くらいに卓くん、改札から出てきたんです。で、ちょっと思ったんです。わたしがここにいて大人の男の人と何か話しているのを見たら、ヤキモチ妬いてくれるんじゃないかなって。多分、見た感じ結局、気づきすらしなかったみたいですけど」
「へえ」
 俺は紙コップを握りしめた。まだ氷が入ったままで、少しこぼれて手を濡らした。
「だから本当にごめんなさい」
 俺は「いや」と言った。
 マクドナルドを出ると、彼女は少し早足になった。足音が響いて、それで卓とやらがこちらへ気づいたらしく顔を上げた。俺はそれを確認してから、再び彼女の手を引いた。
 何も言わせず、振り向いた彼女を引き寄せ、ハグをし、唇を合わせた。数瞬後、突き飛ばすように離し、踵を返した。
 心臓の音が高鳴るのを感じた。早足にならないよう気をつけながら、歩いていく。
 後ろで卓と彼女の声がした。俺へ向けられた声ではないようだ。そのことに少し失望した。そのまま振り返らずに進んでいく。
 雨はまだ降っていたが、最早、気にならなかった。

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