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勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(11)

●娘の大学受験

小学生時代(それ以後もですが)、塾に通ったことの無かった娘は、中学生になって定期テストの結果で学年の中での自分の成績(位置)を知ることができるようになったことにやりがいを感じているようでした。

自分が頑張ったことの結果が目に見えることは、さらなる意欲を生みます。すでに家庭学習の習慣はきちんと出来上がっていました。それは中学生になったからといって変わるものではなく、毎日の当たり前のこととして継続されていました。定期テストで良い点を取るようにといった類のことを親が言ったことはありませんでしたが、学んだことを定着させるために自ら計画的に日々努力を続けていました。

お風呂に入る前、服を脱ぎかけの状態で、教科書や参考書、ノートなどを開いて娘がブツブツ言っています。「風邪ひくよ。さっさと入りなさい~」と言っても、ほとんど無視してブツブツ。最初はあまり気にも留めていませんでしたが、ほぼ毎日そんなことをしているようです。お風呂に入る直前の娘を毎日見張っているわけではないので、しばらくはそれが毎日のことだとは思いませんでしたが、同じ場面をあまりにもたくさん見かけることに気づきました。

たまりかねて「どうして毎日お風呂に入る間際に教科書とか見るの?」と聞いてみると、「覚えにくいことをお風呂の直前に見て、お風呂の中でずっと繰り返し言っていたら覚えられるから」とのこと。

あ~、そういうことだったの?毎日毎日いったい何をしてるのかと思ってたわ。そうよね、テスト前に全部覚えるのは大変よね。あなたは夜10時には寝なきゃいけないし、限られた時間で勉強しないといけないものね。少しずつ着実に覚えた方がいいわよね。それは誰でもわかる当たり前のことだけど、自分で決めてちゃんと毎日実行するあなたはすごいと思うわ。

それは、テスト前に限らず毎日のことでした。いつの頃からか始まり、大学受験のときまでずっと続きました。

そんな娘なので、弟が中学受験をするときには、「毎日お風呂で何してるの?」と娘に問い詰められていました。「べつに、何も。ぼーっとしてるけど。」と息子が言うと、「もったいない!お風呂の中で暗記もの覚えないともったいないでしょ!」と呆れられていたものです。

息子は「お風呂の中くらい、ゆっくりしたいわ~」と姉の意見には取り合おうともしませんでしたが。姉弟でも勉強の方針は異なります。

普段からこの調子なので、定期テスト前の集中力たるや目を見張るものがありました。息子といつも「Kちゃんすごいねー」と、その努力にただただ感心していました。

こんな話をすると、いかにも点数至上主義のように感じるかもしれませんが、娘は良い点数を取るために必死に勉強していたわけではなく、自分の将来のため、自分自身のために勉強していたのだと思っています。

子どもたちが小さい頃からいつも話していました。

「勉強しなかったら将来困るのは自分自身よ。ママは何も困らないよ。だから、自分のために勉強しようね。」

「どんなふうに困るの?」

「そうね~例えばこんな職業に就きたい、とか、こんな仕事がしたいなぁ~って思ったときに、そのために必要な勉強が苦手だったばかりにその職業に就ける可能性が無くなってしまうってことがあるかもしれないよね?その職業に就くためにはこんな勉強をしないといけない(大学のこんな学部に入らないといけない)ってことがあるかもしれないけど、例えば数学が苦手だからその学部を受験するのは難しいなぁ~ってことになってしまうかもしれないよね?そしたら、苦手な科目があることが、自分の将来の選択肢を奪ってしまうかもしれないよね?ママはね、自分の好きなことが仕事にできたらとっても幸せだなぁって思ってるんだけど、今はまだ将来何になりたいとかわからないでしょ?だったら、なりたいものが見つかったときに、いつでもその目標に自信を持って向かえるように、できるだけ不得意なことは作らないように頑張って勉強しておけば、きっと好きなことを仕事にできるんじゃないかなぁ~って思うのよね。」

私が子どもたちに勉強する意味を語ったのはこんなことだけですが、子どもたちは自ら楽しく勉強してくれていたように思います。


基本的に勉強には口出ししない私ですが、娘が高校生になるとさすがに本当に塾に行かなくても大丈夫なのかと心配になって何度か聞いたことがあります。「塾とか行く??」娘の返事は「必要ないし、塾に行く時間がもったいない。」でした。娘の判断基準は「もったいないかどうか」、これに重きが置かれていました。

ただ、高校3年生の夏休みと冬休みだけは、予備校の夏期講習と冬期講習に行くことにしました。1週間程度のものだったのでこれが役に立ったのかどうかはよくわかりませんが、学校以外の場で多くの受験生を目にしたり、学校の先生以外の授業を聞くこと、長期休み中の生活リズムの維持、何かがプラスになれば…と思いました。やはり、塾の類は親の安心材料になるのかもしれないですね。

受験勉強の進捗状況はよく知らなかったのですが、過去問に取り組み始めてしばらくすると、「採点が難しい」と言います。第1志望の大阪大学の赤本を解いても、国語や英語などは自分で採点をするのが難しく、客観的にどのくらいの点数が取れているのか判断しにくいようでした。このあたりが自学自習の難点かもしれません。

そんな中、某予備校の「大学別過去問対策講座」を見つけました。内容はとても魅力的なものでしたが、受講料との費用対効果の判断に、私も娘も迷いました。日頃塾にお金を払っていないので、感覚的に受け入れがたい金額だったのですが、最終的にはやはり塾に行っていない娘にとっては効率的な講座なのではないかと思い、申し込み最終期限間際の11月末頃に申し込みを決めました。

過去の入試問題7年分くらい(すみません、はっきり覚えていません)を本番の実際の解答用紙と同じ形式のものに解答し、提出すると採点してくれて、各科目の解説授業を映像で見ることができるというものでした。

自分で採点する作業が軽減されることと、解答を見るだけではわからない、各問題の要点を解説してもらえるという点では、自学自習を続けてきた娘にとって、受験期の最終段階を乗り切るために大いに役立ったと思います。

最初はどの科目も時間内に最後まで解答することすらできません。時間オーバーして最後まで解答しても合格ラインには届かないという有り様でした。1月に入るとセンター試験のための勉強に専念したので、一旦しばらく中断して、センター試験後に再開しました。少しずつ、時間内に最後の問題まで辿り着くことができるようになり、採点結果の点数も上がっていきました。

よく「現役生は、受験直前の最後の1ヶ月で伸びる。」と言いますが、本人も私も、最後の1ヶ月の伸びを実感しました。これは、最後だけ頑張ったから成し得るものではなく、それまでの着実な勉強の積み重ねによって、最後の1ヶ月になっても気持ちを切らすことなく、いつものように勉強し続けることができたからだと思っています。


センター試験でまずまずの成績を取れたこともありますが、最終的に出願先を決める際にも、第一志望の大阪大学を変えることはありませんでした。

ただ、後期は少し迷いました。迷ったのは私です。娘は「後期も阪大」と、揺れる気持ちはまるでなかったようでしたが、親の方が後期は少しランクを下げた方が安心なんじゃないかと弱気に思ってしまいました。どこでもいいから家から通える国立に行ってくれた方が経済的だなぁという親の身勝手な気持ちもありました。

でも、「前期後期、阪大」と迷う様子もない娘を見ていると、余計なことを言うのはやめようと思いました。そう、そのために私立を1校だけ受験することにしたのだから。


高校3年生の夏が過ぎたころ、娘に聞きました。
「国立受けて落ちたときはどうする?私立に行く?それとも浪人する?」
娘は「えーっ、難しいなぁ。私立一応受けるよね?国立落ちたら私立か…。でも浪人するのも嫌やなぁ。」

私はさらに聞きました。
「もし、私立に受かっていても、国立に落ちたら浪人するのなら、私立受かっても入学金払わなくていい?行かないのに払ったらもったいないし。」「・・・」
「もし、国立に落ちたら、浪人はしないで私立に行くのなら、もちろん払うし。どうしよう?」
「・・・」

節約家の彼女のことなら即答で「払わなくていいよ」と言うかと思いました。もしくは、「浪人は嫌。国立落ちたら私立に行くから払ってね」と言われるかと思っていました。でも、じっと考えていました。少し目に涙を浮かべて、どっちとも答えられないようでした。

「もったいない」それが心の中を大きく占めているのに、それだけじゃ割り切れないものもある。それは、きっと大きな不安。不安だから私立の合格を確保しておきたい。もしかしたら、国立に落ちたときに私立に行くと決断できないかもしれない、浪人したいと思うかもしれない。でも、合格しても入学金を払わないなら、そもそも私立を受ける意味もないか。考えは巡り巡って、どこまでいっても結論は出なかったのかもしれません。

それから、私も考えました。
私は娘の「もったいない」という気持ちが、何ものにも揺るがないものだと思っていたのかもしれません。しかし、18歳の女の子が、受験前からもしもの時には浪人するという覚悟を持てるものではなかったのでしょう。

娘に言いました。

「ママが決めた。私立は受ける。きっと合格すると思うけど、合格したら入学金は払う。『もし国立に落ちても、私立に受かってる、行くところはある』っていう安心を手に入れて、国立を受けなさい。もしも、国立が駄目だった時にはその時に考えればいい。私立に行ってもいいし、浪人してもいい。私立に払った入学金が無駄になっても、ママは構わない。どっちでも好きなようにしていい。その時に考えて決めなさい。」

節約家の娘が、この意見に素直に同意しました。

予定どおり、私立を1校、センター利用と一般入試の2つで出願し、両方合格しました。

入学金を振り込んで帰ってきた私は、娘に言いました。
「○○大学に20万寄付してきたよ!」
この寄付が、娘に心の余裕を与えてくれるのならそれでいいじゃない、と思いました。娘は嬉しそうな顔をして、「20万の寄付」を受け入れました。


3学期に入って学校の授業がなくなってからも、娘は毎日学校に行っていました。それまでと同じ時間に家を出て、1時間15分ほどかけて学校に行って、何人かの仲間と自習のために学校が用意してくれている教室で勉強していました。前期試験が終わっても、学校に通うことはやめませんでした。前期試験の発表から数日後に後期試験が行われるので、前期試験後は、みんなで後期試験に向けた勉強をしていました。

娘の合格発表の日は土曜日でしたが、その日も同じように学校に行きました。娘より先に合格発表が終わっている仲間もいました。すでに合格した仲間も、不合格だった仲間も、まだ学校に通っていました。最後の一人の受験が終わるまで、一緒に勉強することに決めたようでした。

土曜日の朝9時からインターネットでの発表がありました。家で夫と二人、パソコンの前で9時ジャストに接続しようと待ち構えました。予想どおり、なかなか繋がりません。何回目かで繋がりましたが、私は、もう覚えてしまっている娘の受験番号のあたりを、何となく飛ばして画面を見ていました。

先に夫が見つけました。「あった!」
学校に行っている娘に知らせなければと、すぐにメールしましたがなかなか返事がきません。しばらくしてやっときた返信には「うん、みた」と書いてありました。

娘は校門の前で9時を迎え、友だちのスマホで合格発表を見たそうです。3人でスマホの小さな画面を見つめ、受験番号を見つけ、「あったー!すごい!合格だ!」と自分以上に喜んでくれている友だちに圧倒されたようです。大学に入ってからも、その仲間とは遊びに行ったり旅行に行ったり。一緒に勉強や受験に頑張れる仲間っていいなぁと思います。


勉強は言われてやるものではありません。言われたことだけやっている人は、いざというときに踏ん張れないのではないかと思います。自分で計画して、自分で決めて、それを継続することができれば、道は開けてくるのだと思います。

人から子どもたちのことを聞かれたとき、私はよく「阪大は努力で入れるのだと知った」と言うのですが、「阪大は努力だけでは入れないよ。」と言われることがあります。そう言われてしまうと、返す言葉が見つからないのですが、それでも私は、娘は努力で阪大に合格したと思うのです。

おそらく「努力」の度合いが、私の言う努力と、その人の言う努力では、異なるのでしょう。「大学受験を意識し始める時期からの努力」ではありません。受験なんてことは考えてもいない時期からの「自分のための努力」です。その努力は、物事への興味や関心が旺盛であればあるほど、継続が可能になるような気がします。

(次回は「●息子の大学受験」)


勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(1)

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