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お化けなんてないさ、なんて言わないさ

お化け、つまり幽霊の存在を信じるか、信じないかで言えば、僕は信じるタイプの人間だ。
なぜならば、父親が見たり、感じるタイプの人だったし、僕自身も京都時代に霊体験らしきものをしている。
もし、自分自身が霊体験らしきものを体験していなければ、僕はお化けを信じなかっただろう。
「お化けなんて、おバカなことをゆうれい(言うねぃ)」
などと江戸っ子のように言い放ち、茶化したに違いない。

父は幽霊を見たり感じたりするタイプだった。墓地の中を通る道を、車で走っていると、「あそこに人がいた」と言う。僕と母が、父の言う方向を見ても誰もいない、ということもあった。
また、母方の親戚のお墓を移す際に、絶対に手伝うなと言われていたにもかかわらず、骨壷を持って運んでしまい、新しいお墓の広場(沖縄のお墓は「清明祭」と呼ばれる行事で親族が集まり、飲食をする風習がある。そのため、お墓の前には広場がある)に座り込んでしまった。
しんどそうな顔をしているので、理由を聞くと「耳元で何か言っている」とのこと。そこで、近くのお寺のお坊さんを呼び、お経を唱えてもらうと父は元気になった、というエピソードがある。

そして、僕自身だ。
僕は大学に通っていた4年間、京都でもよく知られる心霊スポット「深泥池」のすぐそばに建つ学生マンションに住んでいた。
夏場になると、学生の集団が肝試しに来るため、夜中騒がしくてイライラするほどの場所。
霊感と言うよりは、嫌な場所に行くと気分が悪くなるタイプの僕は、おそらく父の血を色濃く受け継いでいたのだろう。
それでも、夏場までは特に何もかじることなく過ごせていた自室。異変が起こったのは夏も終わりかけの頃だった。
ソファベッドで寝ていると、人生初の金縛りにあった。すると、目を閉じているにもかかわらず、足元に人影のようなものが見える(感じると言った方が良いかも)気がする。
嫌だなぁ、嫌だなぁ、怖いなぁ、怖いなぁと思っていたら、その人影がゆっくり動き出し、僕のそばに来ると添い寝をしようとしたのだ。それだけは嫌だったので、腕を思い切り動かすと金縛りが解け、人影も消えていた。
その後、もう一度だけ金縛り体験をしている。その際は、背中側のマットが盛り上がってくる体験をした。これも、「させるか!」の精神で、腕を動かし、金縛りを解くという荒技で乗り切っている。

お化けや幽霊は、たぶん、いるんだと思っている。それが、魂なのか、思念の塊なのかは分からない。ただ、上のような体験したから信じようと思っている。
最後に、一言ご忠告。
肝試しなど、遊び半分で心霊スポットには行かないほうが良いらしい。人間と同じで、幽霊も、ぐっすり眠っているそばで騒がれると怒るそうだ。怒ったら、人間であれ幽霊であれ、反撃してくるとのこと。
幽霊であれ、人間であれ、敬意を持って接するのが常識と言えるだろう。

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