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小学生編1 村崎先生

※この話はフィクションです。

5年生の担任は新卒でやってきたフレッシュウーマンだった

 僕の通っていた小学校は山々に囲まれた田舎にあった。地元にスーパーは2件しかなく、初めてできたファミリーマートはあっという間に不良のたまり場になって閉店した。誰の子供がどこで遊んでいたなんてことは直ぐに伝わるような、小さなコミュニティの中で生きていた。
 学校の先生もおじいさんやおばあさんが多かった。若い先生でも子供がいるような、30代後半から40代の人しかいなかった。生徒達も自分の親と同じかそれ以上年齢の先生たちに慣れていたのだろう、間違えて「お母さん」って言ってしまう子も少なくなかった。
 そんなコミュニティの中に、20代前半で初のクラス担任という女性の先生がやってきた。名前は村崎先生といい、元気と笑顔がトレードマークだった。村崎先生は初めての担任ということで張り切っていた。喜怒哀楽がはっきりしているタイプで、そんな先生に引っ張られるようにクラスのみんなも全力で先生にぶつかっていた。

小学生という獣たち

 最初はどこかよそよそしい雰囲気も、最初の1か月が過ぎればみんな慣れてくる。先生に対する生徒達の態度も段々とエスカレートしていった。要は先生を舐め始めた。初老の先生のような威厳もなければ、体育教師のような圧もなく、さらには同じ学年の別のクラス担任が暴力で生徒を支配しており(許されないことであるが)それと比較しても村崎先生は温いという認識が広まっていた。
 先生が生徒を叱っても生徒は聞く耳を持たず、走ってどこかにいってしまう。授業中にも私語が止まらない。ブス崎先生といったあだ名で呼ぶ、など次第にクラスは荒れていった。途中で学年主任が
「いい加減にしろ!村崎先生のいうことがなぜ聞けない!?」
とクラス全員の前でブチ切れたことがあった。しばらくは生徒も大人しくなっていたが、次第にもとに戻っていった。制御不能な子供たちを前に、村崎先生のトレードマークだった元気と笑顔はどこにも残っていなかった。

ダムは決壊した

 2学期の終盤、学年主任がクラスにやってきて皆の前でこう言った。
「今日からこのクラスの担任は私が受け持ちます。村崎先生は副担任としてサポートしてもらいます。」
 当時、どのクラスにも副担任というものは無かった。明言はされなかったが、村崎先生が限界を迎えたことは誰にでも理解できた。
 それからのクラスは、学年主任の圧によってヤンチャも収まっていき、村崎先生も直接的な業務が少なくなったこともあって次第に笑顔が戻っていった。傍から見たら村崎先生の技量が足りなかったところを学年主任が助けたように見えたと思う。でも子供目線では「申し訳ないことをした」という雰囲気と「学年主任にそこまで興味がない」という事実がそこにあった。

今ならわかる、みんな村崎先生のことが好きだった

 僕らが6年生に進級したとき、村崎先生は低学年の担任になった。高学年のクラス棟と低学年のクラス棟は離れていたため、顔を合わせるタイミングは殆どなかった。その辺も学校側の配慮があったのかもしれない。たまに授業中にグラウンドを見ると、生徒と楽しそうに体育をしている村崎先生を見かけることがあった。
 大人になった今振り返ってみると、クラスのみんな村崎先生のことが好きだったように思う。皆気が引きたかった。好きな子にブスって言ってしまうアレだ。実際、村崎先生の教育(例えば授業が分かりにくいとか)に不満を抱く生徒はいなかった。初めて年が近い先生がやってきたことに、みんな興奮していただけだったのではないか。
 少なくとも僕は村崎先生のことが好きだった。村崎先生は僕の人生で唯一、当時の夢だった「漫画家になりたい」という夢を応援してくれた。親でさえ鼻で笑った僕の夢を。
 僕一人で解決できた問題ではないが、僕に何かできたことがあったんじゃないかと20年以上も前のことを未だに後悔している。


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