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誕生日から命日へ

 祖父母の命日が曖昧であることが急に気になり出しました。

 父方の祖父だけ私が生まれる前に亡くなっており、4月9日が命日であることはずっと記憶にありました。しかし、私が生まれてから他界した父方の祖母と母方の祖父母の命日を記憶していないことを今日思い出しました。
 (また批判されるのかな…)

 母方の祖父母は、二人とも月曜日に亡くなったことと祖父が先になくなりそのちょうど2週間後に祖母が亡くなったということだけ覚えています。冬だった(1月か2月)ということも。
 父方の祖母は3月だった気がします。今、父に聞いて3月17日であったと判明しました。

 祖父母が亡くなったときは、あまり感情が動かなくて、涙を流した記憶はありません。泣いている母や親族たちをただぼーっと眺めていた記憶があります。もう二度と会えない、という実感も全くわかないまま、お葬式を終えてからも特に変わらない日常を過ごしていた気がします。 

 実家にいたころに同居していたのは父方の祖母で、祖父母の中で一緒に過ごしていた時間は一番長かったです。
 そして頻度は少なくなりましたが、祖母が亡くなってからは私の夢の中によく出演してくれます。祖母の姿がなくても、実家の祖母の家に私と最近(数年以内に)知り合った人が一緒にいるというシチュエーションが多い気がします。

 祖母は割と厳しい感じの人でしたが、私が絵や書道、ピアノに水泳等毎日遊ぶ暇もないほどの習い事を抱え込み、なんとかこなしていることに対し一番評価をしてくれていました。厳しい祖母に褒められると嬉しさも格別で、それが辛い習い事を続ける原動力にもなっていたように思います。

 実家を離れ、帰省して仏壇の前で手を合わせる度に、祖母を思い出すというよりは、祖母がこの世界に存在しないことを自覚させられる、という感覚があります。そして、父や母から祖母の思い出話を聞かされるたび、「あれ、おばあちゃんってそんな人だったっけ?」という新鮮さがあったりします。

 こうやって祖母について考えることが自分についてわかることが増えていくようで、自分が思っている以上の祖母の存在感に少し驚きます。

 しばらく会っていないので、夢への出演を心待ちにしています。

 

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