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「ヘンなやつ」の世界線で生きた人が少し成長した先に見えるもの


ヘンなやつっているよね

どんなグループにも絶対一人はいるはず。
あいつなんかズレてるとか、ほかの人から遅れを取ってるとか。
特に中高生の頃とかに多く言われていたとは思うのだが
驚くことに社会に出てからも多く聞くことがある。

自分の場合も中高はゲームにハマりきっていて、
かといって運動や勉強も中途半端な感じで
正直何をやっているのかよくわからない学生だったと思う。
今客観的に振り返っても明らかな「ヘンなやつ側」の人だと思う。

そんなヤツがどうやって生きてきて、ある程度自由が担保された今に至っているのか、それがこの記事の主題です。

何をもってヘンなやつ

仕事が遅い、運動できない、声が小さい、なんかイライラする…
理由はそんなところだろうか。
いずれにせよそれなりに欠点があって、それがやり玉に挙げられて
いろいろな方面から言われている感じ。

「ヘンなやつ」の悲しい現実

自分もヘンなやつ側の人間ではあると思う。

ただ、自分の場合は、幸いにして人間関係に恵まれていたりとかもあったし
ある程度肩書とか実績が出来てくるにつれてそういったことを言われることが減っていった。
ただ、その傍らで常にほかのヘンなやつ側の人たちが
生きづらさを感じているところを目にすることが多くあった。


「ヘンなやつ」はなぜそう生きているのか?

傍から見ているとわからないが、結局はその人の人生一回全部なぞらないとなぜヘンなやつかはわからないと思う。
例えば、人とコミュニケーションを取れない人がいたとしたら
もしかするとその人は過去に何かトラウマみたいなものを抱えていて
そのままここまで来たのかもしれない、とか。
仕事ができないというのも、過去に誰かにめちゃくちゃ怒られて
自分が何もできないと思い込んでしまっている、とか。

自分の場合は過去に厳しい指導を受けたりだとか、そういったことで
自分に自信がなくなることが多くあって、ヘンなやつになってた状態だったと思う。(今は結構改善したけど)

「ヘンなやつ」が輝くには

何か肩書を得たり、実績を得ることが最短ルートだと思う。

自分の場合はそこそこの資格を得て、そこそこの大学に受かって、そこそこの企業に就職して…のように
あまり自分が意図しない形で他人が「良い」ものとするものを片っ端から得てきたことが大きなきっかけだと思っている。

結局「ヘンなやつ」は誰かが決めたことにすぎない

いろいろと肩書・実績を得てからよく言われるのが
「○○大学出身ってすごいですね」
「○○で働いてるってすごいですね」
とか。
軽いコミュニケーションで言っているなら全然良いのだが
結構大真面目にそういうことを言ってくる人も中には居る。

自分の場合は副産物的に得た経歴なのだが、そういう風なとらえ方をする人が案外多いことを知った。

ここで気づいたのだが、何が「良い」「悪い」って
案外他人が勝手に決めつけていることなのかもしれないということ。

運動ができないとか、ある程度数値で出てきてしまうものはおいておいて
「なんとなくあいつヘンなやつ」は印象が大半を占めているかもしれないということ。
その印象っていうのは、他人から聞いた噂や世間的な良し悪しによって
作り出されたものが大半
を占めていると思っている。


「ヘンなやつ」を悲観する必要はない

なので、今まさにヘンなやつ側に居る人は、
そこまで悲観する必要もないと思う。
結局のところ他人からどうレッテルを貼られようが、それに関しては
あまり気にする必要はないと思っている。

自分は他人と少し違う道を行っているだけで、自分の形で他人の期待に応えるということを選んでいるのであれば。

経験を振り返って改めて思うこと

中高はゲームにハマりきっていて、正直何をやっているのかよくわからない学生だったと書いたが、やっていることに関してはそれなりに熱意をもって取り組んでいたと思う。
ただそれが世間に受け入れられないとか、そういった理由で「ヘンなやつ」に位置付けられていた感じはしている。
むしろそういう経験をしていたからこそ「自分の言葉で話す」とか
「自分の意志で選択する」ということにほとんど抵抗がなくなっているのかもしれない。
ヘンな奴でいることも、案外悪くないと思うし
長期的に見たら得することも多くあると思っている。


今も「ヘンなやつ」をやっていて

学生時代が…とか言ってたけど、結局今も絶賛ヘンなやつ活動中だと思う。
まあでも子供の時より受け入れられてる風潮はあるし
人間関係にも恵まれているからまあいっか、って気持ちにはなる。
普通の感性を持つのも悪くはないと思うんだけど
それじゃ自分じゃなくなるな、って結構真面目に思ってる。

「ヘンなやつ」の世界線で生きた人が少し成長した先に見えるもの

結局「変」「変じゃない」っていうことで色々言うのはとっても不毛だということ。
「そういう考えをするのか」と面白くとらえることが大切だということ。
今話題のD&Iとかアンコンシャスバイアスとかにつながることだと思うけど
結局普通っていうのは誰かが勝手に作り上げた何も明確じゃない基準
ってことを知るだけでも、もっと生きやすくなるのかもしれない。


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