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それでも、書くことを諦めたくない。

大丈夫?

という連絡を受けたのは8月19日のことだった。
その日は灼熱に灼熱を重ね、前日から始まった自社の大きなイベントの二日目。
前日も家に帰る前に体力が尽き、帰り道のコンビニで朝日を浴びて目を覚ましていた。替えのないTシャツを洗濯機で脱水する音と共にシャワーを浴び、家族の声を横目にすぐさま運転し会場へ向かうことが連続するような目まぐるしい日だった。

その日のお昼休憩は、夕方、別のイベント会場の控室。
冷房の効いた部屋でその日初めて椅子に腰かけた。
喧噪の空間の中で訪れた束の間の「静か」

久しぶりに開いた通知に驚きながら、何を大丈夫と言っているか不明なまま、Xを開く。

事情を大方察知し、別のアカウントから自体を把握することに勤める。
書かれている言葉に、体が熱くなり、目の焦点の合わせ方がわからなくなった。

「どうしたの?」と、声を掛けられたところではっとした。
あっ、今は自分のことをしている場合じゃない。

とにかく、自体を把握した旨だけは伝えなければ。
記事が燃え盛るのを観ることしかできなくても、よくない飛び火だけは避けなくては。
とりあえず関係しそうな各所に連絡をする。どくどくした胸の鼓動が早まる音に沈まれと唱え、今は目の前のことに集中!と自分に声をかけて。
楽しそうに笑う人たちの中、心の熱さをひた隠すように一日を終えた。

もちろんそんなことがあったとて、現実はカオスの連続だ。
翌日は涙を流す人たちに声をかけながら、心の中で一緒に泣いた。

嵐のような二日間を終えて、現実を処理せねばと手を動かした。

弁護士やnoteへの相談、
各種SNSのアカウントを非公開へ、アカウント名の変更。
XやInstagramは関連しそうな文言・投稿はすべて削除。
関わっていたであろう場所を思い当たるところから一箇所ずつ連絡する。
HafH、SHE、企画メシ、派生するSlack、LINE、DM、とにかくくまなくもれなく、血眼になって消えた。

すべての連絡を終えて、アプリを消してログアウトした。
一旦離れないと、再起不能になりそうだと察したから。

記事も、イベントも、相手方に関連していようがしていまいが、全部お断りした。
記事が出たら存在を外に出さないと行けない。
存在を出すことなんか、絶対に無理だ。

お願いだから、放っておいてほしい。
一番の優しさは無視なんだって、と言いたかったが言うすべもなく、もうとにかく逃げ回るだけの日々を頭に置いた。

精神科を受診し、眠れない眠れないと泣きつく。
そんな中でも現実は待ってくれない。
東京から愛知という引越しを行わなくてはならなかった。
本業では大きなイベントの後始末や決算もあった。
泣きたいけど泣いてる余裕は一ミリもなかった。

忙しいことがせめてもの救いで、とにかく動いて動いて動き続けた。

書かれた言葉は断片的にしか読めていなくても、言葉が襲ってきて苦しくなる。
もちろん、助けてと声をあげることもできないので、耐えるしかなく。
自業自得だと言い聞かせた。

不幸中の幸いは、私の家族は痛みを負った私をずっと守り続けてくれたことだった。近くに引っ越した私に美味しいご飯を食べさせ続けてくれたし、テレビドラマの話で現実から気を紛らわせてくれた。

事情を察されていない職場は、常にカオスなので、仕事場にいる時は現実から離れられたこともありがたかった。
離れたSNSのおかげで元気を取り戻していった。

でも、今の職場でSNSから離れることはできない。

痛みを伴いながら、前を向けたり向けなかったり、嘘の言葉が連なって言葉を消したり、情緒不安定な自分にまた自己嫌悪に陥りながら、書いて消して書いて消してを繰り返した。
自尊心の塊だな自分は、と嘲笑いながら。
そんな自分と付き合っていくことに嫌気がさしながら。

でもいつかきっと乗り越えられると信じて、もがき苦しむしかない、と腹を決めて大いに苦しんだ。いや過去形にするもんでもないけれど。

いいねする手が、リツイートする指が震える。
私なんかがいいのだろうか。

どんどん見られない言葉の数が増えていく。

痛い、痛い、痛い。
でも、これがあの夏、うまくできなかった自分が受けるべきなんだから耐えろ。
自分が関わることで誰かに迷惑をかけてしまうのではないだろうか。消えないと。あああああああああああ。

何気ない瞬間に起きるフラッシュバックと、行動と言動の筋の通らなさに、苛立ってまた涙が止まらない。どうしたらいいんだ、なんて最低な人間なんだ、と自分を責め続けた。
次第に人に会うことが怖くなって、家から出られなくなった。

家族に心配をかけたくなくて、実家に帰ることすらできなくなっていった。
もう一生ずっとこのままなのだろうか?と。
そして、それは今もまだ答えがないまま続いている。

痛いけど、消えるわけにもいかない。

消えてしまいたい欲望よりも、家族を悲しませる方が無理。会社でほっぽり出して消えることの方が嫌。
少なからずそう思わせてくれる周りがあったことがとても恵まれている。

カオスな日常に揉まれながら、
面白いエンタメに出会いながら、少しずつ失った言葉を取り戻し始めた。
こんな私が何か言葉を発していいのだろうか、とも思うけれど、
あぁ私はことばが好きだったんだな、と思った。エンタメが好きだったんだな、と。

初めてnoteを書いた日と同じように、ことばを書くことが好きだったんだと。大きな組織をぶった斬って、全てを捨ててもここにくるんだと決めたあの日から変わらず、会社が大事だし、働く人たちを支えたいし、やっぱりエンタメが好きだと。

私なんかが書いていい言葉なんざあるわけなかろう、と頭でわかっていも。どうしても自意識が書きたくて書きたくてうずうずしてしまう。大バカやろうだぞお前何言ってんの、と思ってもそれを上回る自分の欲望が現れてしゃーないのだ。困った人間だ。書くことを諦めたくない。

多分またきっと消したくなると思うけど。それでも目を背けずに書く。

だって、私はまたきっと書きたくて書きたくてたまらない自意識の塊的人間だから。
カオスな日常をこよなく愛してしまうから。

だから今は書いて書いて書き続ける。
愛知と東京を往復した日々を、苦しかった半年間を、カオスな日常を、今までのことを、これからのことを、書く。

そしてアホだなと未来の自分を笑わせる。
そのためにも、あの頃よりマシかって言わせる未来を作る。
みとけや、未来の自分。

それでも、書くことを諦めたくない。





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