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組織として、個として「開かれて」いること


外界に対して開かれていること

ドミニク・チェンの本に以下のような言葉があった。

生命は、呼吸や発酵、光合成、そして摂食といった代謝なくしては、エネルギーを生成することはできず、生命を維持できない。だから、個を維持しつつも、外界に対して「開かれて」いる必要がある。

「「未来」をつくる言葉 〜わかりあえなさをつなぐために〜」

会社という組織についても同じことが言える。

生命体・有機体たる会社組織は、システムとして外界に向けて開かれている必要がある。

外界の情報に対して開き
外界の人に対して開き
異物・異者を理解し
それを内に取り入れることで
組織は多様性を生み出し
常に変化を起こし、外的変化に対応し
エネルギーを生成し成長しつづけることができる。

閉鎖したシステムは
やがて永遠に濾過しつづけることができなくなって淀むしかない。

開かれたサブシステム

会社のサブシステムたる部門も、また他の部門などに対して開かれている必要がある。
開かれていない部門は淀み、コンフリクトを極大化させ、やがて機能を失う。

部門のサブシステムたる個人もまた、他の個人に対して開かれている必要がある。
ここで「開かれている」とは、他者への理解であり、視点の行き来でもある。
他者と接し、そのプロトコルを知り、違いの存在を理解し、共有された何かを見つけること。
抽象度の梯子の上下運動をしながら、他者と共に働きかけられる何を見つけること。

簡単ではないし、むしろ面倒くさいことだ。
試みはうまく行かないことの方が多い。
同質性の中に閉じていた方がはるかにラクだ。
それでも我々は開いていないといけない。

開かれたユーフォリア

外界に開かれたユーフォリアでありたいと思ってきた。
創業したころからそれは変わらない。
十年以上前からたくさんのイベントを開催しつづけてきたのもそのためだ。

今のオフィスにはバーカウンターがある。
自分たちがそこで飲みたいというのもあるけれど(笑)
多くの人たちが気軽に立ち寄ってもらえるような場をつくりたかった。
アスレチックトレーナーも研究者も指導者も選手も株主も家族も
多くの人が気軽に立ち寄って、そこで意図せざる出会いが生まれるような場だ。
コロナ禍になって、そのパワーは半減以下になったけど
おそらく遠くないうちにまたかつての姿に戻るだろう。

外に向かって開かれていなければ
我々は未知に向かって拡張していくことはできない。

たくさんの人や情報や出来事に常に触れていて
それらが絶え間なく内に向かって流れ込んでいて
そして同じように外に向かって発信している
汽水域のような組織でありたいと常に思っている。

開かれた産業、開かれた国

会社は産業のサブシステムであるし
産業は日本経済のサブシステムでもある。

スポーツ界は閉鎖的であってはならず
他に対して開かれていなければならない。

日本という国もまた
世界に対して開かれていなければならない。

その観点からいっても
留学生を今更の水際対策なる虚ろな政策で断りつづけるなどは
まさに愚の骨頂だ。

留学生は、その国にとっての最大の外なる仲間になると
元留学生でもある自分は確信している。

私たちはあまねく外に向かって開かれていなければならない。

それは観念論などではなく
あらゆる有機体が、システムとして生きるために必要な峻厳な事実だ。

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