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島根と古代の朝鮮半島、そして製鉄

日本書紀には『素戔鳴尊、帥其子五十猛神、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲国簸川上所在、鳥上之峯。』(スサノオノミコトとその子イソタケルは、新羅の国のソシモリに降り立ったが、「ここに私はいたくない」と言ったので、埴舟を作り、東に渡り、出雲の国にある斐伊川の上流、(現在の奥出雲町にある)鳥上の峰に至った)と、古代朝鮮半島とのつながりを思わせる記述がありますが、島根県内こうした記述に関連すると思われる史跡が、各所にあります。

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鳥上之峯(現在の船通山)※「船通山」という名前も埴土舟が通った神話に由来する。

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鳥上地区の鬼神神社

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鬼神神社にある「素戔鳴尊が乗ってきた埴土舟が石化したと伝える岩船」

大田市にある「韓神新羅神社」。この神社は「五十猛」という名前の地区にあり、いかにもな名前に興味を強くひかれます。

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そして、もう一つ面白いのが、出雲市にある韓竈神社。神社の説明看板には「社名の、カラカマは、朝鮮から渡来した「釜」を差すとされている。即ちこれは、祭神の素戔鳴尊が御子神と共に新羅に渡られ、我が国に「植林法」を伝えられると共に「鉄器文化」を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。」と記載されている。

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神社の入口

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急な石段をひたすら上り・・・

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木の根が繁茂する道を超えると、

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岩の間にわずかな隙間が見える。これをくぐらないといけないようである。

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狭い隙間を、体を岩に沿わせながら進むと、向こう側に石垣が見えてきた。

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ようやく社殿にたどり着いたので、かなりの達成感がある。

今、紹介した、鬼神神社・韓神新羅神社・韓竈神社は、いずれも祭神が、スサノオノミコトという点で共通しています。

また、韓神新羅神社から少し離れた場所には百済たたら跡、韓竈神社の近くにも金掘り地区の地名や野タタラ跡があり、鬼神神社の付近もたたら製鉄で栄えた場所と、製鉄との関連も感じさせます。

現時点で、スサノオノミコトと製鉄を直接結びつけて良いのかは、まだ確信が持てませんが、もう少し調べてみると、より強い関連が見いだせるかもしれません。