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年鑑「みんなでつくる中国山地」発刊へ

このたび、年鑑「みんなでつくる中国山地」を発刊することになりました。

中国山地は「過疎」発祥の地です。昭和30年代に始まった中国山地の人口減少は、昭和38年(1963)の豪雪以降の度重なる災害をきっかけにいっそう促進され、昭和42年(1967)には、初めて国の文書に「過疎」と言う言葉が記載されるようになりました。

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中国山地に住み、中国山地について深く学んでいくと、たたら製鉄がこの土地に与えた影響の大きさに気付きます。

中国山地からなぜ急速に人がいなくなったのかという問いは、一方では、なぜ、かつての中国山地は人口が多かったのかという問いも生み出します。その最大の答えが、中国山地で近代始めまで盛んに行われた、伝統的製鉄技術のたたら製鉄であるというわけです。かつての中国山地には、製鉄や、それを支える木炭生産や役牛生産といった多様な生業がありました。もし中国山地が農業だけを行う「農村」であったなら、これほどまでの人口を抱えることはできなかったでしょう。

それらの多様な生業が、日本の近代化とともに、谷あいで営まれる小規模な農業を残して少しずつ失われていきます。中国山地が「山村」から「農村」に変わっていったと言ってもいいのかもしれません。中国山地が人口を扶養する力が減少した結果として発生したのが「過疎」という現象です。そして、中国山地の社会が急速に変容する過程を克明に記録したのが、1967年に発刊された中国新聞社さんの「中国山地」というルポです。この本の最初の記事も「タタラの村」から始まります。

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過疎が始まって半世紀が過ぎた今、中国山地の過疎も新しいステージに入りつつあります。例えば島根県は、これからの30年間で最も高齢化率が伸びない都道府県と予想されています。統計的にもこれまでとは違った人口動態に入りつつある傾向がみられる中で、中国山地の現場にも新しい動きが芽吹き始めています。それはあたかも、失われた社会の多様性を回復しようとする過程にも見えます。

年鑑「みんなでつくる中国山地」では、日本全体が人口減少に向かう半世紀も前から、日本の過疎の先頭をひた走ってきた先に見えてきた中国山地の未来志向の動きを記録し、発信していきます。今後はまず、2019年12月に狼煙号を発刊し、2020年8月の東京オリンピック後に創刊号を発刊する予定です。「みんなでつくる」の名の通り、多くの人との関わりの中で紙面をつくっていきたいと思います。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。



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HHC

文化的景観や重要文化財、生物多様性などの調査や保護、活用の仕事をしています。個人では地元の中山間地域を舞台に私設図書館を運営したり、中国山地及び瀬戸内の離島を中心に過疎地を歩いたりしています。農学修士・Digital Archive Creator
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