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5RATS→キュウソネコカミ、その後

あの日も夜行バスで帰った。そのまま出勤したものの終日うわの空。ちっとも現実に戻れず梅田シャングリラに取り残されてた。昨年も色んなキュウソネコカミに直面したが、すべてがひっくり返ったかのよう。

間違いがないように申し上げると、観たライブはすべて私にとっては大切で、それを覆したわけではない。今までの経過を集約してくれたような日。そんな時間を提供してくれた彼らには、今も感謝しかない。

現地だからこそ体感できたのは音、圧、呼吸、フロアの拍手、熱気、自分の視点から観る大好きな人の細かい動きや表情。配信アーカイブだからこそ得られた詳細なMC等の言語情報。両者がまんべんなくそろって初めて自分なりのインプットが完成した。

否応なく時間は経過してしまうけど、この気持ちはしばらく自分の中で留めて、自分だけの速度で咀嚼したかった。ちょっと感じたことのない気持ち。長く生きてても、こんな感情になることはそうない、というか初めてのこと。だから大切に、きちんと残せたら。
そして、死ぬ間際にでもゆっくり思い出したい。

そんな気持ちから、前+後編を結果的に1ヶ月半近く練り込んだが、結局まとまらず支離滅裂に。つくづく感情論は向いてない。なら書くなと言われればそれまでだが、自分の中に生じた感情であることは確かで、そこに至るまでには、そこそこの経緯があったことは分かった。と同時に、どこかで吐き出しておかないと先に進めなかった。読んでいただきました皆々さま、ありがとうございました。

しばらく文字は見たくない極限に至ったものの、つっかえが取れたんだか脳みそは空っぽになり、そういえば書いてなかったことを思い出した。せっかくなので書き留めておこうと思います。

■サブカル女子

『ギリ平成』収録「サブカル女子」

私がヨコタさんのアレンジ力に驚いたのは、この曲が最初だったと思う。そういえば、初めて発売日に購入したのもこのアルバムだった。特になんの思惑もなくたまたま訪れた渋谷のタワレコで買ったため、サイン会だかなんだかの参加券をもらったけれど、少し考えてからレジにお返しした。もらっときゃいいじゃん。ヨコタに会いに行ってやれよ。夫は覚えてるだろうかこの私にそう言い放ったことを。いやなんで?別に私ガチ勢じゃないし。

強がり、良くないね。

それでもネズミくんには会いに行ってたようだ。

アルバム『ギリ平成』のシークレットトラック「サブカル女子」のアレンジは、いつものキュウソネコカミしか知らなかった当時の私には驚愕そのものだった。え、なにこれ???こんなんも演るの???知らないって幸運。初聴だからこその感動って絶対にある。

ヨコタさんがおっしゃってた「5年前のNHKホール」ってこの時だったんですか・・・うわあああああああ演ってたんだアコーステック版の「サブカル女子」!5年も経って気がつくとは・・・涙涙涙涙滝涙・・・

ヨコタさんごめんなさい、私これ行ってません。聴きたかった。めちゃくちゃ聴きたかった。なんで行ってないの私、今更どうにもならないけど・・・あーー

録画したものの、観覧も放送も号泣で、大好きなのに繰り返し観ることができないアレンジレンジ。先日の再放送を観て、やっぱり泣いてしまったけれど、改めてヨコタさんのアレンジ力に感激した。ORANGE RANGEとの対バンも目の前に迫った今、そのアレンジ力について、少し考えてみることにした。

■O・P・P・A・I

"原曲の良さをこういう形で引き出し、表現してくるとは思わず、誠に勝手ながら、まったく違う構成を想定してた。初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れられないし、日ごろ見聞きしているのは、ほんの一部に過ぎないと知った。"

「サブカル女子」の次に驚いたのはこのリミックス。原曲のイメージが強い分、驚愕の度合いも大きい。確かに原曲もマイナーコードではあるけれど、こんなにも切ない「O・P・P・A・I」に変貌するとは。

■ギラギラおじさん・ビビった

好きすぎて観すぎてVHSならテープが擦り切れてるはず。HDDが壊れたらデータが飛んでしまうかもしれない。早いとこBlu-rayに移動しなければ…それでもずっとHDDに残したままのモンスターロックは、いつでも観られるようになっている。

ヨコタさんとセイヤさんのおふたり=根拠はないけど「ギラギラおじさん」、ここまでは想定内だったが、まさかここで「ビビった」が聴けるとは思わず。しかもこのアレンジがかっこよすぎて血流がバグった。

ギラおじと違うピアノではないシンセの音色、アコギとシンセと歌のみでも原曲のキレ味は健在。リズム隊が居ないことにも気づかない始末。

そもそもこの曲はこの曲であって原曲以外のアレンジなんて考えたこともない。バンドにとっても演らない日があるのか?レベルのキラーチューン。それをこうアレンジするとは。固定概念でガチガチの凡人には、理解が及ばないどころか、果てしなくぶっ飛んだ。

■冬幻狂

アルテマウスツアーが頓挫した2020年、その年末に開催されたキュウキョネコカミ~わるあがき~。伝統芸能の中盤で披露されたカバーをはじめ、振り返ると武器だけではなく、すべての機会を奪われたキュウソネコカミの逆襲。そのはじめの一歩にも思える。

めちゃくちゃ痛かった臨棒痛も、2週間後の感染者発生報告も、少しだけ懐かしい思い出になりつつある。

■ハローグッバイ/フレデリック

前出の冬幻狂にしろ、この時のハローグッバイにしろこの場所にいた人の特権なのかもしれないが、とにかくもったいない。世にはばかるべきアレンジだ。特にハローグッバイは、原曲とは違う構成でもその良さは損なわず、ピアノとボーカルだけでもキュウソネコカミでしかなかった。リスペクトあってのアレンジとはこういうことを言うんだろう。もしフレデリックがキュウソのカバーをしたら、演ろうと思って準備した。確かそんなMCだったような気がする。

■オレはメガネ

これについては、曲ってこんな風に出来上がっていくのか!え、これって普通のこと?普通じゃないよね?の一心でアレンジ以前の話だ。この番組のおかげで、ずっと思い続けてたことに確信を持った。

キュウソネコカミはパフォーマンスやMV等で奇をてらうイメージが強い。もちろんその部分も大好きだ。でも、根本的な土台である音楽力は、このご時世になったおかげで、より明るみになったと思う。

■NEW ACOUSTIC CAMP 2022

すっかり忘れていたけれど、どうやら自分でも望んでいたようで、無意識に願いを叶えていた。私ごときが望まずとも、以前よりTOSHI-LOWから声がかかっていた事実もうれしかった。ニューアコへ行く決定打になったのは、TRIANGLE’22 Acoustic Resortの配信映像だった。

単なる野生の勘だけど、これは観ないと後悔する気がした。台風が来る、来ない、周囲のざわめきをも跳ねのける山々に守られた空間。嘘のように穏やかな空。そこで聴く、自分にとって初めてのキュウソネコカミのアコースティックライブ。どんだけ贅沢なんだか…

そういえば、ニューアコについて今まであまり触れてこなかった。もし一度だけ過去に戻れるなら、きっとこの日を選ぶだろう。図々しくも私は、とあるお願いをした。叶おうが叶うまいがとても大切な日。いつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。

■*~アスタリスク~

"能ある鷹はナントカというけれど、膨大な音楽力は、まだまだ山ほど隠してるんだろう。またこんな機会があれば、遠慮なく聴かせてほしい。"

観覧後のいかんともしがたい錯乱状態はさておき、この手の感情論を抜きにして冷静になったとき、ざっくりと爪痕が残ったのが「*~アスタリスク~」だ。

今までのアレンジや、ときどき作ってくださるお散歩プレイリストを聴いて想像してきた概念がひっくり返った。しかも自分が好きなタイプの荒々しさとライブ感が共存している。つまり「花」とは対極の構成。普段から洋邦、ジャンルや年代を問わず、様々な音楽を吸収蓄積されているからこその引き出しの多さ。そしてそれをアレンジとして、しっかり落とし込む力量。

そんなん大好きに決まってるじゃん????????
どこまで夢中にさせる気なんだ???!!!????

自分の愛するあらゆるものを制限され、否定され、理解されない世の中が悔しく悔しくて。このコロナ禍を誰よりも呪った自信はある。それでも自分の大切なものを守りたくて。いつかまた思い切り愛でたくて。

もしコロナ禍が、それだけじゃない、一連の出来事がなかったら、今は存在するんだろうか。これらを経たからこそ生まれたものなんだとしたら、流した涙も無駄ではなかったのかもしれない。

《1曲目「キュウソネコカミ」から始まるツアー》もニューアルバム『私飽きぬ』も、彼らが真剣に向き合い続けてきた「今」の証。明日からの東名阪、待ちに待ったアレンジレンジに、心からの期待を込めて。

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