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いまさらながらウクライナ侵攻を語る②

 前回の続きで、プーチンが主張するドネツク・ルガンスクの非武力化・非ナチ化について書いていこうと思う。なお知識のベースはツイッター上のスペースで会話した百合沙門氏の言葉・およびドキュメンタリー映画「ウクライナオンファイアー」が元になっている。
 オリバーストーン監督「ウクライナオンファイア」は3月まではユーチューブで見ることができたのだが、5月現在、削除されているらしい。紹介できなくて申し訳なく思う。

 さて、ドネツク・ルガンスク地区でプーチンが主張しているのは、ここのロシア系住民がウクライナ軍によって武力攻撃を受け続けているというもので、その死者は2014年から2022年までに15000人以上に上るということだ。
 死者は言うに及ばず、住民は自由に行動することもできないという人権侵害を受けているという主張もあるが、どちらも国連の機関に報告が上がっているものではない(飽くまでロシア側の主張である)。だが、住民のツイッターにおける現状の報告や、西側の一部メディアによってドンバス地区の悲惨な現状を報告しているものは多数散見されている。

〇ウクライナによるドローン攻撃

 そんな中でプーチンの侵攻の決断を決定づけたとされるのが、ウクライナによる無人ドローン攻撃である。
 2021年10月にウクライナはドンバス地区に対してトルコの軍事企業から購入した攻撃ドローン「バイラクタルTB2」を用いて攻撃した。


この攻撃は民間人に向けたものではないと思うが、これをもってプーチンはドンバス地区の住民保護のためには武力行使も辞さないということに至ったのではないかと主張する人もいる。
 プーチンからすれば仕掛けてきたのはウクライナ側だということであろう(ウクライナ国内のもめごとなのでプーチンの行動は内政干渉だという議論はいったん置いておく)

〇なぜ、ドンバス地区で親ロシア派とウクライナ政府はぶつかることになったのか。

 ではそもそもなぜウクライナ政府は自国民であるドンバス地区を攻撃するようになったのか。そしてなぜ、ドネツク・ルガンスク地区は自治国を名乗るようになったのだろうか。

〇2014ウクライナ騒乱(マイダン革命)
 ウクライナでは2010年にヤヌコービッチ大統領が就任した、このヤヌコービッチ大統領は国民の多くがEUの加盟を求める中、(ソ連崩壊以降、ウクライナの経済状況は厳しくEUに加入することで、生活水準の向上を願っていた)ロシアと協力関係を結ぶことを選び、EUとの協力関係を結ぶ署名を拒否した。
 これが一部の反ロシア派、親ユーロ派の市民を動かすこととなり、暴力をともなう激しい反政府運動につながったのである。
 2013年11月21日の夜、首都キエフ(わかりやすさを優先してキーウとは呼ばない)の独立広場で大規模なデモ運動が始まり、そこでヤヌコビッチ大統領の辞任要求を叫ぶと、11月30日ウクライナ政府はデモ団体への攻撃を行った、このことはかえって反発を招く結果となりウクライナ国内中の反政府デモが広がる結果となる(この市民運動をユーロマイダンと呼ぶ。)

〇 ヤヌコビッチの国外逃亡
 デモが激化し暴動となると、危機を感じたヤヌコビッチは国外逃亡することになり、大統領の地位と財産を手に入れユーロマイダン側は議会の決定をもってヤヌコビッチを解任し、オレクサンドル・トゥルチノフを大統領とした。
 つまりは選挙によらない形で新大統領が作られたことになったわけである。
 映画「ウクライナ―オンファイアー」ではこの市民活動の裏で糸を引いていたのはアメリカであって、一部の有名な投資家もこれに対して資金援助をしていたと伝えている。
 またこの時、市民活動の中心で市庁舎の選挙や、レーニン像の破壊などの暴動を行ったのがいわゆるネオナチであり、プーチンはまさにこのネオナチたちが暴力によってウクライナの政権を勝ち取ったものであり、正当性のあるものではないといっている。。
 もちろん、断っておくがこれが事実というわけではなく、ロシア側の主張であり、ウクライナオンファイヤーという映画の一部であることを忘れないでほしい。

〇 ロシアのクリミア併合

 ユーロマイダンの際に市民側を鎮圧した部隊が内務省治安部隊「ブルクート」というのだが、ウクライナ新政権はこれを解散させると、市民からの報復を恐れたブルクートの隊員たちはクリミア半島に逃げ、クリミア半島とウクライナをつなぐ道を封鎖した。
 そのまま、親ロシア派の武装集団とともにクリミア自治共和国の政府と議会を占拠すると、クリミアの自治権の拡大を決める住民投票を行うことを決めた。
 この一連の動きを見たプーチンはクリミアの親ロシア派の保護を名目としてクリミアへの進軍を決めたのである。
 この辺の一連の動きは下のウィキペディアでも見てほしい。
 大雑把にまとめてるだけなので、話はもっと全然複雑なのだ。


さて、なんだ経過を話してるだけで長くなったのでいったんここで話を切ろうと思う。
簡単にまとめると
①ヤヌコビッチがロシア寄りになる
②反ヤヌコビッチ側が暴動をおこし、新政権を樹立
③旧政府の一部がクリミアに逃げる
④保護を名目にクリミアにロシアが侵攻←イマココ

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