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いまさらウクライナ侵攻を語る③

 前回までのところでクリミア併合のところまで書いた。
2014年3月16日にウクライナ法を無視する形でクリミアでは住民投票が行われ、8割以上の賛成をもってクリミアは独立を宣言した。(この投票に関しては不正を疑う声が多く、日本を含むほとんどの国がこれを認めていない)
 そして、3月17日ロシアは、クリミアおよびセヴァストポリの独立を承認するのである。さらに、3月18日の条約をもって、クリミア共和国、セヴァストポリ連邦市はロシア連邦に併合されることとなった。
 やったねプーチン、領土が増えるよ。

 このとき、ロシア語系住民ではないクリミア・タタール人は1万人以上が西ウクライナに避難しているとUNHCR(国連の難民を扱うとこ)は発表している。タタール人はクリミア半島を起源に持つイスラム系の住民である。やはりクリミア住民が大手を振ってロシアを歓迎したというわけではなさそうである。

〇ドンバス戦争

 さて、このクリミア併合と前回書いたユーロマイダンの余波を受けて、ドネツク、ルハンシク(いわゆるドンバス地方)でも、親露派による反政府デモが激化し、ウクライナ政府との武力衝突が始まった。
 ドネツクでは親露派が、3月1日から6日にかけて、市庁舎をを占拠するほどの過激な運動がおこすと、ウクライナ政府はこれを鎮圧した。それでも運動は終わらず、4月6日にはクリミアで行われたものと同じ住民投票を行うことを要求し、デモ隊は再びドネツク市庁舎を占拠した。
 そして彼らは4月7日にドネツク人民共和国(DPR)を宣言した。

 一方でルハンシク地区でもこのドネツクの動きを受けて1000人のデモ部隊がウクライナ保安庁舎を占拠し、バリケードを作った。そしてドネツク同様、住民投票の実施を要求し、果たされない場合武装蜂起もやむを得ないという最後通牒を政府に対して行った。

 そして4月12日から14日までに親ロシア派勢力はドネツク州の多くの都市(マリウポリなど)などで政府庁舎を占拠することになる。さらにこのロシア派勢力には、ヤヌコビッチ政権下でウクライナ警察としてユーロマイダンの鎮圧にかかり、その後クリミアに逃走していた部隊も加わった。これをもって、親露勢力は完全な武装勢力と化したといえる。
 この親ロシア派武装勢力はさらにテレビ局も占拠しするなどして、勢力を拡大していったが、とうとうウクライナ政府のトゥルチノフ大統領代行(逃走したヤヌコビッチの後の大統領)はこのデモ部隊をテロと認定して鎮圧に動くこととなった。
 そしてこれらの衝突は5月に激化していき(実質的な紛争)、ウクライナ政府はドネツク共和国DPRが占拠した市庁舎を取り返していった。そしてウクライナとドネツク・ルハンシク共和国の間における激しい領土争いにつながった。
 だが、ここで親ロシア派勢力に対して、非公式な形でロシアによる兵士や物資の支援が行われ、非正規・正規を問わず多数のロシア兵がここに参加した。こうして、親ロシア派勢力の力が維持されることになる。
 さらに、ロシアは8月になると人道支援という名目でこれらの地域に車両部隊を送り、いよいよウクライナとの武力衝突が激化していった。
 ロシアがこのように関与するとドネツクそしてルハンシクの親ロシア派勢力は再び、ウクライナから領土を取り返すことになった。
 もしロシアの介入がなければこのドンバス地域での紛争は5月には終わっていたといわれている。

〇ミンスク合意
 こうして戦闘が続く中、2014年9月14日に、ウクライナ、ロシア、ドネツク、ルハンシクによってミンスク議定書が交わされて、停戦の合意がなされたかのように見えた。(ミンスクはベラルーシの都市)
 しかしこのミンスク合意は双方ともに守られることはなく、お互いに攻撃しあう小競り合いが続くことになった。
 2015年1月には、ドネツク国際空港などで激しい戦闘が再び起こり、ミンスク合意は完全に崩壊してしまった。
 危機を覚えた両者は2月にはいわゆるミンスク2という新たな停戦合意が結んだが、その後、親ロシア派によるデバルツェボの攻撃をはじめとして、小競り合いは続き、このドネツク、ルハンシクでの戦闘状態は続いたままとなった。
 ウクライナ、親ロシア派勢力ともに毎月数十人の死者を出す事態となっており、それが2022年3月までずっと続くこととなっていく。とはいえミンスク2に全く効果がなかったわけではなく、死者数を生まない月もあり、小康状態だったといえる。

〇ゼレンスキー大統領爆誕

 だが2019年にゼレンスキーが新たにウクライナの大統領となると、このミンスク2の合意を意図的に反故にすることとなった。ミンスク合意にはネツク、ルハンシクの独立を認めることとが含まれており、国民から不満が高まっていたからである。
 一方でドネツク・ルハンシクもミンスク合意に定められていた外国勢力の撤退(つまりはロシアが手を引く)という規定を守っていなかった。

 そうしてゼレンスキーは2021年10月26日に、ドンバスの紛争地域の親ロシア派勢力に対してドローン攻撃を実施した。
 これはミンスク合意で定められた違反行為であり、ニュースにもあった通りロシアだけではなく、欧米からも強い批判がウクライナに対して向けられたのである。
 さらにこの違反行為は、ロシアがドンバス地域に介入するのにいい口実を与えてしまった(いままでも明らかに介入していたが、公式にはそれを認めていなかった)そして、2022年2月24日ロシアのウクライナ侵攻が始まるのである。
 

大体以上が、今回の戦争に至るまでの過程なのだが、細かい部分はかなりそぎ落としてしまっている。ウイキペディアを見ていただければ、どういう小競り合いがあったとかまで細かく書かれているので是非、興味があれば細かい部分までも参考にしていただきたい。
 経緯ではない個人的な感想は次回に回します。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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