毒親とセックスレスと離婚危機②

もう少しだけ、子ども時代のことを書こうと思う。


小学校高学年の頃から、父が単身赴任になった。
赴任地はなかなかの遠方で、数ヶ月に一度、顔を合わせるだけになった。

たまに電話はするけれど、基本的に両親がメールでやり取りするのみ。
父の稼ぎはそれなりにいい方だったから、今思うと金銭的に余裕がないわけではなかったはずけど、母は超節約志向でそれを実感することはなく。

母ひ節約のために、ボロボロのジャージを着てるんだと自慢するのが常。

わたしの中で父の存在はどんどん薄くなっていった。



母と妹との3人暮らし。
とにかく母を刺激しないように、真面目に静かに過ごした。
妹は荒れていて、部屋の壁に穴が空いていたし。
わたしのことを憎んでいるような感じで、とにかく関わりたくないようだった。



父方の祖父母と母は折り合いが悪かったけど、祖父の介護の必要があり、母はよく呼び出されていた。
そのあとは決まって、特に祖母の悪口をひたすら聞かされるのだ。


祖母は確かに特段優しい人ではなかった。
でも、孫のわたしを可愛がろうとしてはしてくれていたし、嫌なことをされたわけでもなくて。


それでも、祖父母宅に行く前後には必ず祖母がどれだけ嫌な人なのかを吹き込んでいたから。

わたしは刺激しないように、母の言う通りに懐かないようにしていたのだった。


一方、母方の祖父母宅にはよく連れて行かれたし、実際農業の手伝いをしたり、多くの時間を過ごした。

母からするとこちらの祖父母には懐いて欲しそうだった。
ただ、父と喧嘩をすると祖母の悪口を言うので、これもまた、わたしを混乱させたのだった。



大人になった今、思い返すと。
母は、自分の味方が欲しかったんだろうと思う。
うん、うん、そうだね、と同調してくれる。わたしはそう言う相手。


でも実のところ、わたしは母にヒステリックに泣き叫ばれるのが面倒だったし。
とにかく嫌だから、合わせてただけだった。

母はああなると、手がつけられない。
家のことを放置して、引きこもって、散々酷い言葉を聞かされる。
誰が何を言ってもダメなのだ。


わたしが中学校に進むと、部活動を決めなければいけなかった。
幼い頃からピアノをやっていたから、なんとなく吹奏楽部に入ろうかな、と思っていた。

見学に行くと、興味のある楽器はいくつかあって。
フルート、クラリネット、パーカッション。
体験でドラムを叩くのが、楽しかった。

フルートは人員の問題で、楽器を買わない限り、今年は1人も募集しないのだ、と言われていた。

母にそれを伝えると、あなたは喘息だからフルートね。呼吸器強くなるだろうし。楽器は買うから、そうしなさい。




いつもそうだった。
結局決めるのは母で、それにはいつもそれらしい理由があるのだけど。
わたしの気持ちは二の次で、最終的に決めてしまうのは母だった。


興味はあったし、いいか...
本当にやりたかったのは違うんだけどな。

思っても言い返すと、何倍にも言い返されて、丸め込まれる。絶対に気持ちは通らない。

この頃には、自分の気持ちは諦める癖がしっかりついていた。



当時、勉強も相変わらず上位の方を維持していたけど、学校はまあまあ荒れていて。

暴力沙汰はなかったけれど、クラスメイトが卒業間際に妊娠したり、不登校が続出していたり。
部活動では、いじめが発生したり。


楽しい学校生活だったかと言うと、どうだろう。


相変わらず親しい友達もいなくて、中学校生活もあんまり覚えていない。

友人と、休みの日に遊びに行ったりした記憶もない。
休みの日、何してたんだろう。
部活に行っていたのは覚えているけど、それ以上何もなかった。

田舎の中学生。友人もなく、都会に遊びに行くこともなく。いつか外に出るんだ、と漠然と思っていたことだけは覚えている。

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