毒親とセックスレスと離婚危機。①

ここでは、はじめまして。
ひー、と申します。

30代、既婚、地方都市在住。
親と離れて、ちゃんと自分の足で生きていたかったのに、いつのまにか離婚目前になって。
相談できる相手も、味方もいなくてどうしても辛い。

心の拠り所がないわたしが、どうにか気持ちを素直に書きたかった。

精神的に虐待を受けた毒親育ち、教員を鬱で退職、夫とのセックスレス、性的マイノリティのこと。

つらつらと、書いていきたい。



わたしは会社員の父と、専業主婦の母の元に長女として生まれ、年頃の近い妹が一人。
小学校に上がる頃に一軒家に引っ越し、家族4人暮らし。祖父母はどちらも農家。
地方ではよくある家庭に育った。


でも、小学生の頃から、わたしは仲良しと呼べる友達がいなかった。

理由は簡単で、つまらない子だったから。

あの頃のわたしは、放課後学校から帰ると遊びに行くことは一切許されず、専業主婦の母の前で宿題を終わらせてからでないと、外出はできなかった。

あの頃といえば、みんな学校で遊ぶ約束をして、下校後すぐに友人の家で遊ぶのが普通で。

低学年の頃は何度か誘われたことがあったけど、宿題をやらないと出してもらえないから、話していたら。
いつの間にか、全く誘われなくなった。



放課後は、みんなで楽しく遊んでるらしい。
学校でそんな話を何度も何度も、数えきれないほど耳にしたことがある。
でも、遊んだ記憶が、本当にない。
自宅で読書をしていた時に数回、家の裏の同級生に誘われて、自宅の周りを鬼ごっこをしたきり。

誰かのうちに誘われて、遊んだ記憶が、本当にない。


思い返せば、宿題終わらせてから途中から合流しかできないなんて、あまりにも真面目すぎるし、誘うのが面倒だろうと今ならわかる。
誘う対象にならなかった。それだけ。


ちなみに、家ではテレビはバラエティやドラマはほとんど見せて貰えなかった。くだらないから、だそうで。
大晦日を除き、どんな時も9時就寝が絶対の約束。
気になる番組の録画はさせて貰えず、父が帰っている時は7時になったらNHKのニュースを見て、そのまま入浴して就寝。

テレビゲームは、熱中しすぎるから、と。どんなに強請っても、結局一度も買って貰えなかった。
コーラなどの炭酸飲料も、中学生の夏に従兄弟に分けてもらえるまで飲んだことがなかった。

当時のわたしの楽しみは、アニメ。

平日に唯一見せてもらえたのは、ドラえもんや、クレヨンしんちゃん。
日曜日は1人で朝早く起きて、1人でひたすらテレビに齧り付き、アニメを観ていた記憶がある。
女の子向けだけでなく、レンジャーシリーズも、仮面ライダーも。
娯楽という娯楽が、これしかなかったから。全部欠かさず観ていた。
それを話せる相手はいなかったけど。


母は友達付き合いを断つような生活を強いる割に、休日は気まぐれで、近所のゲームセンターに連れて行った。

コインゲームをひたすらやるのだ。
毎回数千円。何時間もゲームをする。
大当たりが出たり、出なかったり。

母には気晴らしなんだ、と言われていた。
母が満足したら、帰る。それだけ。


ゲーム自体は少し楽しんだ記憶があるけど、それは母と、わたしと、妹だけ。そこに、友達はいない。

思い返すと小学校の間、友人とプリクラを撮ったことすらなかった。



喘息持ちで、運動も苦手だった私は、学校の休み時間は教室で静かに過ごすのが好きで、自然と1人。

なんとなくニコニコして、話をすることはできるけれど、同級生とは当然深い話はできない。
共通の話題が、なかった。

学習成績は優秀で委員長とかやるような目立つ子。
だけど、ちょっと関わりにくい。そんな子だったと思う。


でも多分、大人から見ると、扱いやすい子だった。きっと。


面倒見は良くて、学級委員長をやった記憶もある。
担任が母に、頼りにしてるんです、と伝えていた記憶もある。
知的障害を持つお子さんの、お世話係にされたことも何度もあったし。

静かで真面目。責任感もある。世話役として、ちょうどいい。そんな子だったんだろう。



あの頃、両親は喧嘩をすると、父はパチンコに出かけ、母は家事も育児も放置して、寝室に引き篭もっていた。そして、散々母は泣き喚く。

父の悪口や自分の生い立ちについての愚痴を散々聞かされ、それに対する同調を強要される。
いいえ、なんて言えない。

酷いでしょう?わたし、可哀想でしょ?
それを頷くだけ。

それが数日間にわたるのだ。
こんな時、頼れる相手は誰もいない。
ひたすら我慢するしかなかった。


泣き喚く母の愚痴や暴言を聞くのも、いつもわたし。妹は自室に引きこもって逃げていたから。

あの頃は、とにかく必死だった。

なんとか仲直りしてほしかったから、父と母の伝言係は、いつもわたし。
非喫煙者なのに、パチンコ屋から帰ってくる父からするタバコの香りは、いまだに忌々しい気持ちと共に覚えている。



今思い返すと、おかしいと思うところはたくさんあって。
いわゆる、毒親に当てはまると気付いたのは、高校生の頃。


それが大人になってまでこんなに引きずるなんて、思ってなかった。

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