効率と合理性

「効率」と「合理性」という言葉がずっと
私を掴んで離さなかった。

私にとっての効率の良さとは
最小の資源(時間を含む)で
最大の利益を得ること。

私にとっての合理性の高さとは
一隙の無駄もない様(さま)。

今思うと、最高にバカげている。

誰かが作った時間の概念と数字(お金)の概念に
踊らされた、奴隷根性丸出しの考え方。
 

効率と合理性を突き詰めた先にあるのは
今の自分の快ではなく、
来るかも分からない想像上の未来の自分の快か
もしくは(もっと最悪なのが)自分でもない誰かの利益。

それに気付いたとき
バカバカしすぎて笑えた。
 

でも少し前までの私は
確かにそれがクールだと思っていた。

若い頃、
高級なブランド物を身につければ
特別な自分になれると思っていたのと同じように
盲目的に憧れていた。

 
もう「効率」と「合理性」を手放そうと思う。
 

まあそうは言っても私の場合、
オートでそれがインストールされている。

だとしたら
それを考えない瞬間が私の勝ち得た「自由」

 
私は少しずつ自由になっているようだ。

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