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【2分エッセイ】先生の「頭がおかしいんじゃないの」という呪い

作:相見美緒


トラウマは先生からの一言

「あなたは頭がおかしい」

この言葉を何回か先生たちに言われたことがあります。最初は、小学校の家庭科の先生。私がランチョンマットを作る時、どうしても布地を裏返して縫う作業が出来なくて家庭科の先生から呆れられて「あなたは頭がおかしい」と言われたのです。

気にするほどでもないのに。ただ何気ない言葉なのに。ですが、本心から出た棘のある言葉が今でも刺さっています。
でもね、私は頑張ったんです。手作業は不得意でしたが、それでも投げ出さずに取り組んだんです。その過程を先生は認めてくださらなかった。

「努力しても、私は頭がおかしいからどうせできないんじゃないか。頑張ったとしても、認めてくれないんじゃないだろうか」

そんな風に思い詰めて生き続けてきて、気がつけば21歳になっていました。軌道修正が出来ない程に。あたかもそれがデフォルトであったかのように。

人は諦めを知るために生まれて来たのか?

最近では、発表前で失敗するかもと過度に怯える私に、「もっと自信を持って良いよ」とわざわざ色んな人から声を掛けられるようになりました。
フィードバックでも、「良い発表なので、もっと自信を持ってください」と書かれるようになりました。

ああ、でも私も自信を持ちたいんです。私だって、「頭がおかしい」と思いたくないんです。
「頭がおかしい」という一言でくくられるような人生を送って来たわけではありません。

「失敗するかもしれない。力不足かもしれない」

言葉ではたくさんこんなことを言います。ですが、心の底からこんなこと思っているわけではありません。自信のない言葉を反芻するたびにこみ上げてくる涙は、悔しさの涙です。

どうして、心の底では「自分はできるはずだ」と信じているのに自己否定を繰り返してしまうのでしょう。失敗したときにあまり心が痛まないからでしょうか。

「ほら、出来るはずがなかった。本当に失敗した」

ああ、とても馬鹿げています。
自分の能力不足を知るために、私は生まれてきたのでしょうか。諦めを知るために、私は生まれてきたのでしょうか。

違うはずです。人の何気ない言葉に左右されるような人生を私が送って良いはずがない。誰だってそうです。

今こそ、こんなトラウマをデリートする時です。私が真に自由に生きるために。