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リトルダディー俺に幸せを教えてくれ!!ー第二話

俺は味の無い食事を早々に切り上げて、その重苦しい部屋を出て行った。
 その日の夜、俺は咲希の部屋の前を通ると、咲希の喋り声が聞こえた。
「……欲しいんだけどね。難しいかもしれない」
 俺は失礼ながら、そっと耳をすませた。
「だけど、頑張ってみるよ。バイトでお金を貯めてみる。ばいばい」
 ガタンと音がしたので、俺はそそくさとその場から逃げ出して俺の部屋へ逃げ込んだ。
 娘の足音がゆっくりと階下に消える。娘は一体何をしようとしているんだ?
 部屋に入って調べたいが、すぐに娘が部屋に入って来てしまう恐れがある。俺は階下に下りて、娘の動向を観察した。娘は今から風呂に入るらしい。しめた。これで、三〇分は動かないだろう。
 俺は娘の部屋に戻り、探索を開始した。
「特に変なものはないな……うん、この机の上にあるノートはなんだ?」
 ノートを開くと、蛍光ペンで彩られた夢が広がっていた。ジャズバンドを組んで、メジャーデビューして世界の人に感動を与える夢。ジャズバーの定期演奏会でゆったりとして曲を演奏してリラックスさせたい夢。
 そういった夢を叶えるにはどうすれば良いか、びっちりとノートに計画が書かれていた。夢を叶えるには、何がいるか。いつまでに何をするのか。俺は、驚嘆した。あの日見た小さな向日葵の芽がいつの間にか俺の肩に並んでいたぐらいの衝撃だった。もう、娘は自分の力で飛び立とうとしていたのだ。
 どうやらノートによると、娘は高校でジャズバンド部に入り部員と意気投合してジャズバンドを組みメジャーデビューを目指そうという話になったらしい。今は自分の楽器を持っていないので学校が貸し出している楽器を使っているようだ。
 その時、俺は欲しいものリストに眼がついた。
「個人用のテナーサックス……相場、二〇万円から。高いのでバイトで稼ぐ?」
 楽器で二〇万円?!高すぎる。楽器ってそんなに高かったのか……。俺は唸った。どうしても、俺は娘の夢を叶えてやりたかった。だが、二〇万は……仕事をリストラされた俺には、あまりにも手の届かない産物でしかなかった。

 朝、スーツを着てネクタイを締める。赤いストライプのやつだ。いわゆる勝負ネクタイというもの。妻にプロポーズしたときも、大事な商談をしたときもこのネクタイを締めていた。
 長年連れ添ってきたのに、大切に閉まっていたおかげか、ちっともくたびれた様子はなかった。俺は締めたあと、何となくネクタイを掴む。ザラザラとした生地は少し冷たい。目がシャキッとした気がした。

「いってきます」

 半ば宣言のように声をかけてドアを閉める。当然のように返事はなかった。
 いつもはそのままハトの待つ公園へ足を進めるが、今日は違う。俺は苦々しい思いの詰まったハローワークへ向かった。
 結果は惨敗。前の企業はブラック企業ではあったが、給料は高かったのだと気づかされた。俺はトボトボと川土手を歩く。日が傾いて橙色に染まった景色が美しいやら物悲しいやら。時折転がった小石を蹴飛ばしながら、俺はただ歩いた。
そのとき、キャッキャと少女のはしゃぐ声が聞こえた。俺は思わず顔を上げ、夕日の照らす道の先を見つめる。背の高い少女と肩までで切り揃えられた少女が自転車を止めて何やら話し込んでいるらしい。背の高い少女の方は、大きな荷物を背負っていた。ギターケースだろうか。一方、ボブヘアの少女は自転車に鞄を一つという姿で、話に聞き入るように体を寄せている。
 俺はふと、娘のノートを思い出す。ジャズバンド部。あれを見て、俺はジャズにどのような楽器があるのか調べた。その一つにたしか、ギターがあったはずだ。もしかしてあれは、娘と部員なのだろうか。
 俺は急いで踵を返した。こんな情けない姿なんて見せたくなかった。無視されようが反抗されようが娘は娘。俺と血のつながったたった一人の子どもなのだ。そんな娘に何もしてやれず、仕事を失いさまよう俺はなんて、なんて、無様なんだろう。
 進む足は行き先も知らない。打ちひしがれる俺の影は歪に伸びてユラユラとしていた。