3羽 「21歳の21ヶ国・月を指差す」

香港・マカオ・中国・ラオス・ベトナム・カンボジア・タイ・インド・ネパール・エジプト・ヨルダン・シリア・レバノン・イスラエル・イエメン・スペイン・モロッコ・エクアドル・ガラパゴス諸島・アラスカ・カナダ。

前回のnoteがいたずらに長くなり過ぎたことを反省し、まずは旅した国を一挙に書き出してみました。これが21歳のとき旅した国。21ヶ国。

香港は国じゃない、ガラパゴスも国名はエクアドルだ!と突っ込まれる方がいそうですが、国の定義なんてそもそも曖昧なもの。
だからそこら辺はあんまり気にしません。

アラスカもアメリカだけど、アラスカ行くのに「アメリカ行ってくる」っていうひといませんよね。いたとしたらわかりにくすぎます。アラスカはアラスカ。香港も香港。そんなマイルールでカウント。この方がなんだかしっくりくるんです。

ということで、辞書的な定義や国連加盟国うんぬんは一旦横に置いといて。
私が21歳のとき訪れたのは21ヶ国。これで話しをすすめます。

16歳から水平線の向こうの世界に憧れていた私にとって、この21ヶ国の旅は本当に素晴らしいものでした。ありきたりな表現ですが、親や学校から教わることはできない大切なことを、知ることができました。

1つのリュックに入るものだけで暮らすことの心地よさ
自分がここにいることをだれも知らないときの爽快感
ひとを信じること、疑うことの境界線
文明に守られていること
そこから足を踏み出した先の世界の、おそろしさ
働くよろこび 別れのかなしみ
宇宙の大きさ 自分の小ささ
このキーボードを叩いてるいま、どこかでクジラが水しぶきをあげていること
その意味。

なんだか抽象的なことばかり書いてしまいました。でもたいせつなものって、そもそも簡単にあらわすことはできないものなんじゃないでしょうか。と、とりあえず自己弁護。

「心でみなくちゃ、ものごとはよくみえない。たいせつなものは、目にはみえないんだよ。」

とどこかの星の王子さまも言ってくれてるし

「Don't  think . feel !」とカンフーマスターも言っている。

旅の間、私はまさしくなにも考えず、感じるだけの日々を過ごしていました。目の前に広がる新しい景色と文化を、全身で浴びるように感じていた。

私の行動原理や判断基準の根本は、この旅で培われたと思います。感じ続けた日々のあと、日本に帰ってから考え続けたことで、私なりの信じられるひとつの”芯”のようなものが形成されました。

それほど大きな影響を受けました。それがだれにとってもいいことなのかどうかは、正直わかりません。ただ少なくとも、私にとってはよかった。

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから」

という言葉の意味は、実際に砂漠をみなければわかりません。どこかの星の王子さまも、私も、砂漠で過ごさないとわからなかった。井戸の水を飲まなければわからなかった。そういう人間だった。そんな人にとっては、きっといい方法なんだと思います。

うれしいこともかなしいことも等しくありましたが、すべてひっくるめていいことにしかないと言える時間でした。こうして宿もできたことだし。

そんな宿のホームページに「世界一周しました」と書いたので、ありがたいことにときどき、「どうでしたか?」と聞いてくれるお客さんがいます。

聞いてくださる方には、自分が旅してよかったと思えたことをお話しできたらいいなと思うのですが、あんまり長々と話すのは矛盾だったりします。
旅をおすすめするのに、旅先であるここで私が長々と話すのは、お客さんが新しいなにかに出会う機会を逸することになってしまわないか?

考えるな、感じろ。のあとには、「それは月を指差すようなものだ。指をみてちゃ栄光はつかめないぞ」とつづきます。

この宿も旅先のひとつだけど、わたしの話しは月を差す指でしかない。この宿の先で出会うものが月であるはずだし、ここを訪れてくれる人には、この先で出会うものこそ大切にしてほしい。そういう宿でありたい。

と思ったりします。

だからこれからこの場所で、これまで聞いてくれた方、そしてこの先聞いてくれるかもしれない方へゆっくり伝えられるよう、21の旅のはなしを書きたいと思います。手紙を書くような気持ちで。となりで月を指差すように。

抽象的ではなく、なるべく具体的に。

象徴的なことも、しょーもない的なことも。

どうぞよろしくお願いします。

それでは、また。

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