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その名を呼ぶとき 『デッサ・ローズ』

彼女の逃亡は本当に絶望的で命がけの行為だった。誰かが逃げてくれないといけない。こんな反乱を起こした以上は、せめて誰かが自由にならなくてはならなかった。彼女は裸足で妊娠中の身だったーーー。


アメリカの黒人女性作家シャーリー・アン・ウィリアムズの小説『デッサ・ローズ』(藤平育子訳、作品社) の一場面です。


舞台は19世紀半ばのアメリカ。
愛する夫を殺した農園主人を襲撃して、奴隷商人へ安値で売られたデッサは妊娠中の身だった。赤ん坊を奴隷にしたくない。彼女は仲間と反乱をくわだて実行した。捕われて死刑宣告を受けたが、刑の執行は赤ん坊が生まれるまで延期され、ヒューズ保安官の農場に拘留されることとなった。3人の仲間によって救出されたデッサは、逃げる道中、男の子を産み、昏睡状態でグレン農場にかくまわれた。そこは、主人つまり白人女性ルースの夫が長期不在のため、逃亡奴隷たちによって維持されていた農場だった。やがて彼らは、ルースも巻き込んだ資金づくり作戦にうってでる。奴隷制度が許されない自由の地、《西》を夢みて。


この物語は、たしかに奴隷制度による犠牲が描かれています。奴隷たちは「死ぬか、売られるかの運命」の身で、過酷な労働や困難に耐えている。とはいえ、その陰惨な悲劇だけが描かれているわけではありません。

白人たちにとって、わたしらはいつも黒んぼダーキイ黒人ニガー小娘ギャルでしかなくて、名前で呼んでくれたためしがない。


彼らにとって「名前」はとても重要で、仲間どうしは互いを名前で呼びあいます。自分を名乗り、自分の名が呼ばれる。そうすることで、しいたげられる「なにか」ではなく、感情を持った替えのきかない個の人間に立ち返り、心を通わすことができます。



デッサがかくまわれたグレン農場で働いているのは、それぞれの「残酷な主人」から逃げてきた奴隷たちです。しかしながら彼らは、主人から逃げることはできても、奴隷制度からは逃げられない。この制度がある限り、見つかればふたたび奴隷に戻される。


それゆえ、周りにひと気もなく来客もないグレン農場は、彼らに束の間の安らぎを与えます。ルースの夫が帰ってくれば、彼の奴隷にされるか売り払われるかという懸念はありますが、はたして本当に戻ってくるかは、わからない。ルースにしても、農場を維持するための働き手は必要で、現に彼らのおかげでその年の収穫は最高なものになりそうです。


農場の女主人であるルースは、逃亡奴隷たちが話す、彼らの主人から受けたという残酷なおこないについて聞くと、憂鬱のあまり、作り話だと思い込もうとします。自分の属する白人社会は健全だと信じていて、それに反することは受け入れられない。白人は黒人に許可を与えることのできる上位の存在とも思っていますが、産後衰弱しているデッサを自身のベッドに寝かせ、泣き続けている赤ん坊には、ごく自然に自らの乳を含ませます。


けれども、目を覚ましてその光景を見たデッサは混乱します。その白人女性が敵か安全かがわからない。そんな彼女を安心させてくれたのは、エイダとその娘アナベルです。同じ境遇の彼女たちは、すぐに打ち解けあい笑い声を含ませながらおしゃべりします。その様子をルースはうらやましく思う。ルースには乳飲み子の娘クララしかいないのです。


あるときアナベルの無礼な振る舞いに憤慨したルースは、エイダに改めさせるよう言い付けます。エイダはそれを聞き入れますが、あることを匂わせる。お世話をするのは感謝であって、ルースの奴隷ではないことを。


孤立無援のルースの話し相手となったのは、ネイサンです。ネイサンは、デッサと反乱を起こした仲間で、彼女を救出したひとりでもあります。親しくおしゃべりするようになったある日、彼はルースの寝室に入ってきて、彼女はそれを受けいれます。デッサたちはそれに気づかずドアを開け、驚き怒りのあまり彼女を「ミズ・ルイント」と呼ぶ。

「堕落した女」。そう呼ばれたルースは激怒します。それはアナベルがかげでつけた蔑称で、ふだんルースのいないところで使っていたものです。それでなくてもデッサは、身体につけられた焼き印のあとを見ようとしたルースに不信感を募らせて、心をかたく閉ざしていたのです。ネイサンに対しても怒りがあります。それなのに彼は、作戦にルースも加えようと提案したのです。

いままで受けてきた仕打ちを考えると、白人を仲間に入れるなんてことは到底受けいれられない。それに、あのルースです。デッサは反対します。

「いいかい、デッサ。君にあの女性を辱める名前で呼ぶ権利などなかった。僕たちは彼女をずっと信頼してきたんだよ。ちょうど彼女も僕たちを信頼してくれているようにね。それを君は今さらなんで邪魔するんだ?」


作戦は、デッサとルースが行動を共にする必要があります。ルースに対して反発心のあるデッサですが、あることをきっかけに態度を軟化させる。「我が身を守るのは自分自身であり、女同士が互いに守るほかない」のです。


互いを偏見の眼差しで見てしまっていたわけは、デッサの場合、心に余裕がなかったからかもしれないし、ルースの場合は、育った環境の慣習と、見ないよう考えないよう努めてきた理解のあきらめや無知からくるものかもしれない。けれども協力して窮地を脱したふたりは、相手を通して他者の世界を知っていきます。そして……



この物語は2つの実話を基に創作されています。他者を知ることは、自分を知ることにつながる。奴隷制度には心が傷み重く沈みますが、読後、彼らの姿に目の前の空が大きく広がっていくような明るさを感じました。



幾重にもバイアスのかかったモノサシで見ている世界。ときには自分の感覚を疑って、なじみの顔ではない誰かに会いにいく。本を読み、映画を観、旅にでて。偏見や固定観念にとらわれないようにするには、そういうことが大切なのかもしれません。

   わたくしの名前はルースよ。
   ルースです。
   あなたの奥様ではありません。
   ああ、そういうことなら、
   わたしの名前はデッサ。
   デッサ・ローズです。


長文になってしまいました。

疲れたとき、こんなノスタルジーはどうですか?


あなたと、あなたの大切な人が、
ずっと豊かでありますように。


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