見出し画像

凛として 「火曜日のシエスタ」


雨が降って、気分までじけっとしたときは、
凛とした女性の物語が読みたくなります。

世のなかに強いひとはたくさんいると思いますが、グチも文句も泣き言も、言いわけさえも口にせず、すべてうちにおさめて覚悟を決めた女性ほど、強い者はいないと思っています。
その境地にいくのは、なかなかむずかしそうですが、そういう女性の姿は、いっそ涼しげで、すがすがしいものがあります。

そのような女性が出てくる物語といえば、ひとつに、ガブリエル・ガルシア=マルケスの
「火曜日のシエスタ」が挙げられます。
『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(野谷文昭 編訳 河出書房新社)に入っている、わずか9ページほどの短篇です。


物語は、列車の場面から始まります。
過ぎゆく景色がつぎつぎと移り変わって、かなり遠いところへ行くようです。
飾り気のない三等車は、少女と母親の二人きり。二人とも粗末な喪服姿で、持ちものといえば、母親のエナメルが剥げたバッグに、席に置いた質素な食べ物と新聞紙でくるんだ花束だけ。
食事を済ませて、身なりを整えると、母親は少女に確認事項を伝える。

この短いセリフで、彼女の心のうちに熾火おきびがあること、そして、いまからなにかしらに立ち向かうことがわかります。
ただし、そのときの彼女は、じっと見つめる少女を、穏やかな表情で見返しています。

駅は人影がなく、暑さのなかに浮かんだ町は昼寝シエスタの時間帯。
二人はアーモンドの樹の庇護を絶えず求めながら、司祭館へ向かいます。
休みのさなか対応した司祭館の女性は、やりとりのなかで、穏やかな声で話す彼女の確かな意志を汲みとったように微笑んで、司祭を起こしにいく。

司祭への用件は、墓地の鍵。母娘は墓参りに来たのです。
名無しで葬られた息子を死にいたらしめたものは、誤解によるものか否か。
どちらにせよ、母親である彼女は一貫して穏やかな態度のままです。

著者のガルシア=マルケスは、登場人物たちの内面には触れず、行動によって物語を進めています。それが、かえって人物たちの感情を想像させる。
話す言葉のひとつひとつも効いています。
物語をとおして少女はたったひと言だけ声を出しますが、それで十分想いは伝わります。
少女は愛らしく、けなげです。
最終の場面では、母娘のいまからのこと、そしてこれからのことを案ずる気持ちが自ずと湧いてきます。
そして最後は、守るべきものがある女性の、凛とした姿が、深く印象に残り、心にある湿りけをサラリと取りはらってくれます。



雨があがり、虹がかかりました。

久しぶりすぎて、心が躍ります!


あなたと、あなたの大切な人が、
今日も健やかでありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?