皮膚感覚が大事、体系立てて整理はできない時代

なんとなくこうなんじゃないかなと思ったら、わりと当たっていることが多い気がする。感覚を磨いていけば、感覚だけで生きていくこともできるんじゃないだろうか。

現代人が1日に得る情報の量は、江戸時代の人の一生分に相当するのだそうだ。IT関連の仕事をしているとさらに大量の情報に接しているかもしれない。とにかくものすごい情報量で、とても処理しきれない。体系だてて整理することなんて不可能だろう。そこで大切なのが皮膚感覚だと思っている。いま何が流行っているのか、近い将来どうなるのか、熟考するのではなく肌で感じ取る。現在はどんどん流れていく。ゆっくりと考えている時間はない。皮膚感覚で「何となくこうだ」と当たりをつけて、すぐに行動する。そういうことが必要なのだと思う。

まだiPhoneが日本で流行るのかどうかと議論されていた頃だ。iPhoneアプリを開発するための仕組みが出るや、すぐにアプリの開発に取り掛かった。ただ作るだけではなくて、ストアに並べるところまでやった。当時、日本でそこまでやっている人が少なかったので、それからしばらくはiPhoneアプリの開発だけで生活することができた。

もともとWindows向けの業務ソフトを開発販売する企業に所属していた。会社では当然Windows用のプログラムを書いていたが、これからはwebがおもしろいだろうということで家ではweb用のプログラムを書いていた。おかげで会社を辞めてすぐにwebの仕事ができるようになった。今度はwebの仕事をしながら、趣味でiPhoneアプリ開発に手を出した。結果は上記の通りだ。これらは将来を予測して行動したわけではなくて、皮膚感覚で感じたままに行動した結果だ。

以前はメルマガ数百通、新着ブログ記事数千件を毎日チェックしていた。ひとつひとつ読むのは無理だから、ざっくりと目に入れていく。そういうふうに大量の情報を浴びていると、なにが流行っているかというのがなんとなくわかってくる。それに毎日ブログを書いてそこそこの反応を得ていたので、どんな書き方をするとどんな反応があるのかがわかってくる。僕の場合は、そうやって皮膚感覚が磨かれていったような気がする。感覚なので使わなければ鈍る。現在はインプットもアウトプットも制限しているため、当時磨かれた皮膚感覚ははすでに残っていない。

SNSは早い時期から始めていた。Twitterはサービスが開始された直後から使い出した。当時はまだTwitterクライアントというものが存在しないような時期だった。Facebookは様子を見ていたが、日本向けに対応された時点で登録した。Facebookページがつくれるようになると、すぐにページを公開した。Facebook広告もすぐに試して、運営していたページは当時のランキングに入るくらいのファン数を獲得していた。そういう取り組みもまた皮膚感覚を磨くことにつながっていたと思う。

いまでも理屈ではなくて皮膚感覚で感じ取るということは意識していて、なんとなくこんな気がするというのを大切にしている。チームメイトの発言をそのまま受け取らずに、チーム内の空気を感じ取って、必要に応じて空気を変えるように働きかける。子どもたちの口には出さないサインのようなものを感じ取って、個別にケアする。将来は予測できないのだから、体系だてて考えてそれを積み上げることの意味はそれほどないように思う。なんとなく感じたことに対して、なんとなく適切だろうと思われる対処をする。先の先まで読まなくても、それで十分じゃないかなと考えている。

将来は予測できない。だから地図は役に立たず、コンパスが重要となるのだ。僕はそのコンパスのひとつは皮膚感覚だと思っている。今の状況、これからの変化を敏感に感じ取ることができる皮膚感覚があれば、どうにか生き残れるんじゃないかという気がする。皮膚感覚を磨くには、動きまわることが一番だ。ブログ全盛期にブログを書き、SNSが流行ればいち早く情報発信をし、フィードバックを得ながら皮膚感覚を磨いていく。いま何が流行っているのか、こういう風に石を投げればどんな風に波紋が広がるのか。

自分が感覚で動くのはいいのだけど、他者を巻き込む時には相手を納得させる必要がある。感覚で決めて理屈を後付けする能力が必要なのだろう。成功者と呼ばれる人たちを見ていも、それは後付けだろうという言論はよく見かける。そこを押し切って他者を巻き込むことができるのが成功者と呼ばれる所以かもしれない。

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