迷ったら、安全な道を選ぶ

人生に影響を与えた一冊として岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を挙げる人は多い。その中でもよく取り上げられるのが「安全な道をとるか、危険な道をとるか。迷ったら、危険な道を選べ」という言葉だ。昔の僕だったら座右の銘にしていたかもしれない。けれどもいまは、折れることなく生き残ることが目標のシングルファーザー。本書を読んでもまったく共感することができなかった。僕の方針は「迷ったら、安全な道を選ぶ」だ。

岡本太郎はこの言葉の後に「食えなけりゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ」と続ける。いやいや。食えなけりゃ、人は死ぬ。そこは生活保護というセーフティネットがあるだろうと言われるかもしれない。けれども生活保護を受けながら子どもに十分な教育の機会を与える自信は僕にはない。最近はイケイケな人たちが口にする「死ぬこと以外はかすり傷」という言葉に憧れている人が多いようだけど、僕ら弱者は「生きてるだけで致命傷」なのだ。というようなことをツイートしたら、予想以上にバズった。多くの人に共感されたようだ。生きていくだけで大変なのに、さらに危険な道を選ぶ必要はあるだろうか。

僕はシングルファーザーという道を選び、そして起業家という道を選んだ。それが一番安全な道だったからだ。当時の家庭を維持するのは子どもたちにとって危険だった。僕ひとりで育てられるという勝算もあり、子どもたちを引き取ることにした。会社を辞めて独立するときには、すでに仕事の当てがあった。独立後は初月から黒字。収入も増えた。離婚や起業に限らず細々したところも含め、思い切った行動をするように見られることもある。けれども、僕はあくまで安全圏の中で活動しているだけだ。へたをすれば会社に居場所がなくなるような活動も、次の当てがあるからこそやることができた。安全が保証されているからこそ、思い切ったことができるのだと思う。

それではどうすれば安全を保証できるかというと、ふだんの積み立てなんじゃないかと考えている。たとえば僕の場合は毎日ブログを書いていたところ、それがいまの人間関係や仕事につながっている。会社員時代も自分がおもしろいと思ったことは片っ端からやっていった。それが積み立てられていき、おもしろい話があると僕も呼んでもらえるようになった。貯金があれば安全に冒険ができるのだけど、それと同じことだと思う。安全な道を選ぶために安全な道を増やすという感覚とも言えるし、危険な道を安全な道に変えておくとも言える。あとは良いタイミングが来たときに増やしておいた安全な道を選ぶだけだ。

「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」と岡本太郎は続ける。その根拠が僕にはよくわからないのだけど、仮にこの言葉が正しいとしてその場合でも「安全な道は自分が行きたい道ではない」の否定にはならない。僕は後悔をしたことがなくて、講演するときや文章を書くときには、後悔しない方法というのを説明している。安全な道でも自分のやりたいことはできるはずだ。まずは安全な道を選び、そこで考えて行動すれば後悔することはない。という方針で僕は生きているのだけど、危険な道を選びたい人を止める気はなくて、そういう生き方も魅力的だなと思う。

サポートしていただくと更新頻度が上がるかもしれません。