絶対

あなたと会うのは、なぜかいつも金曜日だった。どんなに仕事が押していても金曜日にだけは残業にはならないように細心の注意を払ったし、友達の失恋話は土曜日に聞くことにした。木曜日は金曜日に備えて荒れた唇と、毛先の手入れをして、下着を上下揃える。毎週金曜日は絶対に予定を空ける。0時から0時まで、スマホの充電が決して切れないようにフルにする。あなたから金曜日の何時に連絡があっても、地球の裏側にまででも走っていけるように。

私たちは、ある金曜日は食事に行き、ある金曜日は映画に行き、ある金曜日は公園を歩いた。でも、私たちはキスをしたり、それ以上のことはしない。

いつもこうだ。絶対に「恋人になりたい人」とは恋人になれない。
あの頃もそうだった。やっぱりあなたとも、そうなのだろう。

いつもあなたは少し困ったような顔で笑って、私に触れようとはしない。一緒にいるのに、いつも距離がぎこちない。これから何万光年先も、私たちは楽しい友達同士で、私は荒れた唇と毛先に、しわやシミのお手入れも追加しながら金曜日を空け続けるのだろう。でも、それも幸せなのかもしれない。

金曜日に予定がない時は、土曜日に友達の失恋話を聞き、日曜日にあまり好きではない人と時々セックスをする。月曜日は火曜日に備えて深く眠り、水曜にだけは全力で仕事を捌く。今の私は週休6日のようなやる気のないOLで、あの頃から比べたら適当な事務仕事を週に1度全力でこなすこと、そして「恋人ではない人」とセックスをすることだけは上手になった。

あの頃、ゆるやかなカーブを描く地元の砂浜に、「とてもとても恋人になりたかった人」と訪ねたことがある。その砂浜は失恋の多い友達が「好きな人と一緒に夕暮れの日にあの砂浜に行くと、恋人同士になれるんだって」と言ったからだ。

私は「とてもとても恋人になりたかった人」を、ある日の夕方に誘った。ハマヒルガオが夕暮れでピンク色から朱色に染まっている。砂浜へと降りていく階段の6段目に一緒に腰掛けた。会話が途切れてしまい、ぼんやりと水平線を二人で見つめる。水平線の先に「恋人になれた後の自分たち」を探すが見当たらない。凪にでも質問したい、友達からどうやって恋人になれるのでしょうか。

失恋の多い友達と観たアダム・サンドラーとエミリー・ワトソンの映画を思い出す。「キスをしてほしかったわ」というシーンを真似てみる。「このシチュエーションは、肩を抱えてキスをされても、おかしくないよね。」と、映画の1シーンのように少し背伸びをして、エミリー・ワトソンのように伝えると、彼は私の顔を見つめながら困った顔をして、視線を水平線と戻した。やっぱり恋人になれた後の自分たちは、水平線の向こうには見つからない。失恋の多い友達が話すおまじないなんて、信じなければよかったのだ。

私はそれから、「恋人になりたい人」とは絶対に結ばれないおまじないにかかってしまった。誰かとキスをしてもセックスをしても、やっぱり今も水平線の先にあるのは、ただの水平線だ。波でも聞きたい、友達からどうやって恋人になれるのでしょうか。

いずれ、どこかの金曜日に、何千万回か繰り返した後の金曜日に、エミリー・ワトソンではなく自分の言葉で「キスをしてほしかったわ」と伝えるのもいいかもしれない。絶対に恋人にはなれなくても、あなたと向き合うために。

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