【閲覧注意】そうありたい

~おことわり~

この文章は、noteの会員登録をしたその日に
初めて書いた文章です。

あの日は、とある事情でメンタルがガチで終わっており、
半ば遺言めいた気持ちで書いてしまったものです。

今読み返してもちょっと「うっ」となる内容なので、
あまり読むことはお勧めできません。
が、消すのもなんか…あの日の自分を否定するみたいでいやでして。

なので、かなり暗く、決して面白くない文章だということを
先に明記させていただきます。
それでも読んでみたい、と思ってくださる方は、
そういう文章だと思ってお読みいただけると幸いです。

恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。




【本文】

人のあらを探して、自分より社会的地位が低い奴めと笑う。
それは心地のいいものだ。
どんなに斜に構えても、人間は群れるタイプの類人猿であるのだから。

群れの中で低い地位になった猿は工夫をするのだそうだ。
あるものは強いものにへつらって気に入られようとし。
あるものたちは徒党を組んで、一発逆転を狙って争いを起こす。
あるいは争いではなく、工夫をして自分より地位の低いものを作り出すこともある。

人間は猿ではない、倫理的な神の使いであると言い聞かせる人々がいる。
少なくとも配慮を知り、ほかの人を思いやるから、我々はけだものではないのだと。

けだものとはなんだ。
その言葉はおそらく、人間にとって害があると思われる生物に向けられる言葉だ。
それは人間だってそうじゃないだろうか。
人間最大最強の天敵は人間か、人間の作り出したものだ。
天災に意思はないが、天災に似た破滅を、意思をもって生み出す人間。
その破滅は、破滅への恐怖は今や、世界中の人々が手のひらの上に持っているのではないか。

過ぎたるはなお及ばざるがごとし、という言葉がある。
過ぎたかどうかわからない。
だけど、僕は明日誰かがボタンを押したら滅ぶような世界に生まれたくはなかった。
悪意を持った誰かがその気になれば、誰かを手のひらの上で貶めることができるような世界にも。

杞憂の故事に似た世界だと思う。
明日、天が落ちてくるかもしれないと杞の国の人は憂いたとされる。
今や、いつでも誰かがその気になれば、天から死が降って来る世界だ。
ほかの人がどうかは知ることができないけれど、あきらめと恐怖は時々僕を追い詰める。
その切迫感が、誰かを笑い、誰かを踏みつけてでも安心したいだろう、と僕をそそのかすのだ。

自由でありたい。
誰かに決められて、誰かのために、誰かの思惑に振り回されて生きたくない。

だが残念ながら、自由であれるほど僕は強くなかった。
今も誰かに依存し、誰かの集合体に守られて、屋根の下で世界を知った気になっているじゃないか。
その安心から逃れられない自分を、誰より自分が責め立てている。
その事実がつらくて、哀れと知りながら僕も、誰かを笑う日を何日も過ごしてきた。

僕がこんな、何が言いたいかもわからないぼやけた文章を書いているのもその報いだ。
誰がこんな子供っぽい愚痴を読みたいと思うのか。
読書は娯楽と知っている。
誰かに紹介し、誰かとそれを共有したくなる文章に価値があるのだと。

その自嘲もまた、僕が価値観に縛られて自由でない証拠だ。
無価値と決めつけている。
価値を感じるかもしれない、万に一人かも知れない人をもまた、そうして傷つける。
そういう自分が何よりいやで、きらいだ。

だから、自由でありたい。
馬鹿にされようと、そんな言葉も聞こえないほど自由でありたい。
自由に生きていけるほど、強くありたかった。

僕は今日も、今日を満足に生きられないでいる。
きっと明日も。


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