設計:板倉順三 岐阜市民会館[建築]

202210 岐阜ひとり旅

建築旅としても撮り駅旅としても
楽しかったです。

設計:板倉順三 岐阜市民会館

惚れ惚れしました。



坂倉準三は1901年(明治34年)に岐阜県羽島郡の造酒屋に生まれました。旧制第一高等学校文科から東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、在学中に建築を志すようになった坂倉は、当時注目を集めていた近代建築の旗手ル・コルビュジェに師事する意思を固めました。1929年に渡仏、ル・コルビュジェの勧めで専門学校にて基礎を修めたのち、1931年から1936年までアトリエの重要なスタッフとして都市計画や住宅設計に携わりました。

1936年に帰国後、パリ万国博覧会日本館・設計監理のため再渡仏、1937年に建築部門のグランプリを受賞して一躍、世界的評価を受けることとなります。
1940年に坂倉建築事務所を設立、その後1969年に68歳で亡くなるまでの間に約300もの実作を残しました。

戦時中の組立建築、1950年から晩年まで難波、渋谷、新宿で手がけた都市ターミナル、1951年の神奈川県立近代美術館と東京日仏学院をはじめとする建築作品、さらには伝統とモダンの融合した住宅や家具など多岐にわたる仕事を通じて人間のためのデザインを追求し続けました。

また、シャルロット・ぺリアンと協働した1941年の「選擇・傳統・創造」展(東京・大阪高島屋)にはじまり、1957年・1960年のミラノ・トリエンナーレ日本室展示、さらに1957年に設立されたグッドデザイン制度の初代選定委員長を務めるなど、戦後日本のデザイン界に多大な影響を与えました。



[ 略歴 ]

1901: 岐阜県羽島郡竹ヶ鼻町に生まれる
1923: 東京帝国大学文学部美学美術史学科美術史入学
1929: 渡仏。フランスにて建築修学後、1931年からル・コルビュジエのアトリエで働く
1936: フランスより帰国。パリ万国博覧会日本館建設のため再渡仏
1937: パリ万国博覧会日本館、建築部門グランプリ受賞
1939: フランスより帰国。文化学院院長・西村伊作の次女百合と結婚
1940: 坂倉建築事務所設立
1946: 坂倉準三建築研究所と改称
1948: 坂倉準三建築研究所大阪支所を開設
1949: ニューヨーク近代美術館主催 ローコスト・ファニチャー国際競技設計に応募「竹製椅子」佳作入選
1950: 神奈川県立近代美術館指名競技設計で実施案として採用決定。翌1951年竣工。
1952: 東京急行電鉄五島慶太の依頼により東急会館の設計に着手 (以降-1970年渋谷西口ビル完成まで、18年間にわたって渋谷ターミナルに取り組む)
1956: 日本建築学会賞受賞<国際文化会館>(前川國男・吉村順三と共同設計)
1958: 国立西洋美術館[ル・コルビュジエ設計]実施設計監理に前川國男、吉阪隆正とともに協力
1961: 日本建築学会賞受賞<羽島市庁舎>
1968: 日本建築学会賞受賞<新宿駅西口広場>(東京都首都整備局、新宿副都心建設公社、小田急電鉄と共同)、日本都市計画学会賞石川賞受賞<新宿駅西口広場計画>
1969: 死去、享年68歳。正五位勲三等瑞宝章。


坂倉準三建築研究所 HPより
https://www.sakakura.co.jp/




◼️好き過ぎて制作したダイジェスト版

https://youtu.be/hFa_To59g7Y

https://youtu.be/SLzUYbUscJ4

https://youtu.be/S2O6Ae7by78

https://youtu.be/8UDbNu6XlEU

https://youtu.be/oliFo3IaZig



◼️◼️岐阜ひとり旅
https://youtube.com/playlist?list=PLnrpvYMoYKM6Q9-H8z-DdsfLzhwB59rwp



◼️◼️再生リスト①
https://m.youtube.com/@architecturaljourney/playlists

◼️◼️再生リスト②
https://www.youtube.com/@user-ld2tl1vu9q/playlists

いろいろなひとり旅の記録や日々の断片が
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