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そこそこのご飯

昨日の晩御飯は、味噌汁、鶏肉の照り焼き、グリル野菜、さつまいもの天ぷら、とうもろこし。昼御飯の残りの豚丼が少し。

家族はあんまり美味しそうに食べなかった。たしかにめちゃくちゃ美味しいものはない。決してまずくはないはずだけれど。

昨日も色々と忙しかった。夫が家にいたので3食作らなければならなかったし、娘とバレンタインデーのチョコの買い出しにも行ったし、外遊びもしたし、卒園に向けて感謝のカードを5つも作った。

こういうのを4つ。さらにメッセージと写真を貼り付けた。
桜が飛び出してくるものも作った。

〈時間のないなかでも、あたたかいお味噌汁とご飯が食べられたら幸せなことなのになあ〉〈感動するほど美味しいものは時々の外食でいいじゃないか〉と思った。普通じゃだめなのか。

味が濃いものが美味しいという価値観はいつから定着したんだろう。チェーン店で食事をすると大体肉も魚も野菜も「死んでる」。「生きたまま食べられないだろう」というツッコミは置いておいて、私は鮮度のことを言っている。冷凍野菜なんかは野菜が泣いているように見える。だって、半殺しのまんま時間を止められているし。私が野菜だったら収穫されてすぐ食べられたい。

昨日食べた人参は、裏庭で間引きのために引っこ抜いたやつをそのまま焼いただけだったのに、やたら甘かった。

チェーン店もたまには美味しいけれど、なんだか「味つけ」を食べる口実に肉や野菜を食べさせられているような気がする。その味だって人工的なものだから、一体何を食べたくて店に来ているのか分からなくなる。

私は料理をするのが好きだ。楽しいはずなのに、美味しいものを作るのがストレスになる。美味しいと言ってもらおうとするとしんどい。「冷蔵庫の中のもので作ったから食費が浮いたな」くらいの気持ちでいいはずなのに、いつからか私たちはメインディッシュを求めている。「美味しい」だけじゃなくて「楽しい」も「嬉しい」もそこそこでいいのに。そこそこの心地よさを後ろめたいと思わないようにしないと。自信をもって普通の味噌汁を作る。

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