マガジンのカバー画像

石巻Re-Create

12
東日本大震災から12年が過ぎた。被災と復興事業はかつての風景や日常生活を大きく変えており、その変化に向き合う必要性も出てきた。「石巻Re―Create」は、建築家で芝浦工業大学教… もっと読む
¥300
運営しているクリエイター

記事一覧

第12回 がんばっぺ

 13年前のあの日、私は東京の大学にいました。テレビのニュースでは牡鹿半島沖を震源とする巨大地震であることや、大津波が発生していることが伝えられていました。その頃の私は半年前に北海道に在住していた弟が急逝したこともあり、メンタル的に弱っていた時期でしたので、この大震災は深い絶望感にとらわれるものでした。当然、直接被災された方々の衝撃は、想像を絶することだったのではないかと思います。 復興過程は3段階

第11回 おもしぇ

 私は芸術鑑賞が趣味です。芸術鑑賞というと高尚な趣味と思われがちですが、フランスでは文学も映画も芸術のカテゴリーに入っており、最近では第9の芸術としてマンガも芸術のカテゴリーに入っています。私も学生に進められて、いまさらながら「呪術廻戦」を読み始めたので、芸術鑑賞の日々を送っています。なので、皆さんも日常的に芸術に触れていることになるのではないでしょうか。 

第10回 ほでなす

 最近の子供たちは、「ほでなす」って言われているのかが気になりました。子供の頃に悪ふざけをしていると、よく「ほでなす」と怒られました。谷川正明氏が編さんした「知っ得石巻弁」によると、語源は「放題なし」とのことで、和歌や俳句などでお題から離れて自由勝手な詠み方をすることのようです。お題という型から外れると自由を獲得できるとも言えます。そう考えると「ほでなす」であることはそんなに悪いことではないように思います。

第9回 あがいん

 子供の頃に、最初は「あがらいん」と「あがいん」の違いが聞き取れず、あべこべに思っていました。「あがいん」に似た意味の言葉で「けー」もありますが、「あがいん」には優しさのこもった響きを感じます。  他人の家でごちそうになるものは自分の家と違った味付けや食べたことが無いようなものが出て来て、とても刺激的な経験でした。このような体験からか特に好き嫌いも無く、珍しい食べ物が好きなので、旅先ではその地方の料理を食べることが楽しみのひとつです。

第8回 いずい

 今でも標準語に変換できない言葉の一つに「いずい」があります。窮屈な感じだったり、しっくりとこないときだったり、ふと「いずい」なあと思います。身体的にも感覚的にも使える便利な言葉で、子供の頃はしょっちゅう使っていたような気がします。建築設計の仕事をするようになってもデザインを考えながら、なんかいずいところが気になって仕方がありません。日々の生活を送っていると、人は多少いずくても徐々に慣れてしまい、いずいことを忘れてしまいます。その点でいずくても「住めば都」という考え方を受け入

第7回 ちゃっけい

 「進撃の巨人」という漫画をご存じでしょうか。アニメや実写版の映画にもなっていますが、巨人からの攻撃を防ぐために人類が恐ろしく高い塀の中で生活しながら、巨人と戦う物語です。震災の復興事業で作られた高い防潮堤を始めてみた時に、この「進撃の巨人」の世界観が重なった記憶があります。何かとてつもなく大きな力に対して、それを防御するための方法として高い壁を造ることは本能的な行為なのかもしれません。

【第6回】あがらいん

 子供の頃、友達の家に行くと、いつもおっぴさんが「あがらいん」と言って、ナスの漬物をおやつに出してくれたことが記憶に残っています。なぜおやつに漬物なのかと疑問に思いましたが、「あがらいん」って言葉が自分を優しく受け入れ、自分の居場所となったことがうれしかったのかもしれません。気安く「あがらいん」と言われると、他人の家でも敷居が下がり、心地よい自分の居場所になってしまうから不思議ですよね。  子供の頃には学校をはじめ、遊び場所や秘密基地や友達の家など自分の居場所と感じるところ

【第5回】カワイイとめんこい

 「カワイイ」という言葉が万国共通の言葉になっていますが、オジサンには???が付くような「カワイイ」のジャンルがあるようです。「不気味カワイイ」もオジサンたちには理解を超えた感性を持っていないと共感できないものの一つだと思います。  私の研究室は建築デザイン手法の研究をテーマの一つにしていますが、男子学生が「カワイイ指標を用いた建築形体の研究」という修士論文を書いたことがあります。建築をカッコイイということはありますが、建築がカワイイと表現する時代になってきたのかと感じまし

【第4回】原っぱとおだづもっこ

 ドラえもんやちびまる子ちゃんのマンガには原っぱに土管が置いてあるシーンが出てきます。昔は誰の土地か分からない原っぱや空き地で子供たちが遊んでいましたが、最近はあまり見ない風景となりました。  私も子供の頃には原っぱで遊んだ記憶があります。隠れる場所があれば缶蹴りや秘密基地をつくって遊んだり、捨ててある自転車やテレビの分解したパーツを宝物にしたりして、原っぱは想像力を拡げる大切な場所だったと思います。誰の土地か分からないけど地主がいたはずですが、子供たちには寛容だったのでし

【第3回】ズックとやんばい

 私は旅が好きです。初めて訪れるまちはとにかく歩き回って、ぶらぶらと町並み、建築やそこに住む人たちの生活の営みの一端を見て回ります。一日に十何キロも歩くことがざらです。  初めて長距離を歩いたのは、小学校2年の頃に矢本小学校から鹿妻の自宅までの帰り道だったと思います。いつもは仙石線で登下校していたのですが、1本乗り遅れると1時間以上待たなければいけない。そんなに家まで遠いとも思っていませんでしたが、歩いても歩いても、なかなか家にたどり着けません。近道だと思ってあぜ道を歩けば

【第2回】視ることと考えること

 私は視覚人間です。耳で聞いた記憶よりもビジュアル記憶の方が残るというタイプです。  ものを見るって行為が、意識して視るって行為になったのは、子供の頃から通っていたアトリエコパンの新妻先生の影響が大きいと思っています。絵を描くときに良くものを見なさいって教わります。それは、ひとの視野は約180度ありますが、集中して認識できるのはわずか2度の中心視という視野だと言われています。だからこの2度の視野で何かを視て初めて分かる、または気付くことがあるのです。  アトリエコパンでは

【第1回】まちとスケール

 はじめまして。私は建築家です。芝浦工業大学建築学部の教授とスタジオトポスという建築設計事務所を主宰しています。いわゆる二足のわらじを履く日々を送っています。初めて会った人から「ご専門は何ですか」とよく聞かれますが、「インテリアや建築の設計から、まちづくりや景観計画などをしています」と答えることがあります。  一般的にインテリアや建築、都市計画やまちづくりなど扱うスケールが異なる分野にそれぞれの専門家がいるのですが、私自身はスケールに関係なく一連のつながった日常の中を観察し