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男惚れする格好いい男たち㊿ vol.540


俺がこの歳まで積み上げた人生や読書感からくる、格好いい人間像について語ってみたい。

今回は花神こと村田蔵六。

改名してからの名前の方が世間に通っている。

大村益次郎のことである。

靖国神社の参道の中央には、大村が堂々と辺りを睥睨する銅像が祀られている。

銅像になるに値する人物として目されているこの男が、辿った人生を準えてみたい。

幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者であり、維新の十傑の一人に列せられることもある。

長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、蘭学を準拠とした合理主義により、長州の兵制を大いに改革し、その結果、2つの戦役の勝利の立役者となる。

維新後、太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者となる。

あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。

後にその流れは、陸軍の法王的存在となる山縣有朋や寺内正毅といった系譜に繋がり、長州軍閥の基礎を形成することにもなっている。

大村は蘭学者として多くの著名な人物との親交を得た。

蘭学繋がりで当時、産科修行をしていた楠本イネを知るに至り、彼女に蘭学を教える。イネは高名なシーボルトの娘である。

イネは後年、大村が襲撃された後、蘭医ボードウィンの治療方針のもとで大村を看護し最期を看取っている。

また、大村は伊予宇和島では提灯屋の嘉蔵(後の前原巧山)とともに洋式軍艦の雛形を製造したりする英邁さを発揮するが、奇しくもわずかな差で国産初ではないということであった。(国産第1号は薩摩藩において結実したとされる)

その順番はどうあれ、この時期に洋式の軍艦を設計しようというところに、大村の類稀な資質を感じることが出来る。

と同時に、幕末の叡智が沸騰する段階において、物作りに対する創意工夫が、これほど未来の夢を展望させる形で身を結んだタイミングもまた、珍しかったのではないだろうか。

宇和島で埋もれている提灯屋の嘉藏ですら、これだけのスキルを持っているという技術立国としての端緒の層の厚さに、大村は決して、外国諸国に劣るものではないと、確信にも似た思いで、嘉藏のことを思ったであろう。

大村は、花神と評されることがある。

花神とは花咲か爺さんのこと。

蕾すら綻んでいない木々に、特殊なマジックを施して、満開の花を咲かせていく。

それが花神であり、花咲爺さんとしての所以。

大村が出現したことによって、日本の幕末の歴史は大いに変わった。

その一つの証左が、この男の出現前と後では、長州軍の強さが格段に違うということである。

国を形成するということは、即ち民を安んじること、つまりは、このリーダーに従っていけば、自らの安息は間違いないと、心を平定せしめる何かを及ぼし得るということであり、加えて軍事的にどう制しうるかというということでもある。

この時代で言えば、特に、軍制を近代化にまとめ上げるということがそれを意味するかもしれない。

それを大村が実現した。

確かに革命は、高杉のような人格的威貌が必要で、彼のように勢いの源泉としての存在が必要である。

だが実際は戦争とは物量と作戦の問題が多くを占める。

それら実地を、まさに定理から引き出された計算性でもって、勝てる戦の戦術を組み立てることができなければ、元々の勢いなど屁みたいなものになってしまう。

その問題を解決したのが、まさに大村の能力による。

だから高杉と大村はまさに革命戦を遂行する上で、互いに必要不可欠な存在だったと言えるであろう。

花神と呼ばれた大村は、高杉とともに、革命の機運を一気に夢物語から現実話に変幻させた。

要は、日本を幕末の騒乱から救い出したと言えるかもしれない。

格好いい人間像!

これほどの人物を幕末に秘蔵していた日本という国のポテンシャルは、もの凄い!笑 (終)

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