能登半島地震

全国民で一斉に断崖絶壁に向かっているようにしか見えない。もちろん崖の向こうに待ち構えているのはドーヴァー海峡のようなものではなく地獄の業火である。

「自然災害復興の無駄な支出」という単語が当てられる時代が訪れた。

人権という観点がすっぽり抜けた今の中央政府の思考は、次第に振る舞いに現れ出し、最近は言葉選びも隠さずストレートになってきた。

日本が民主主義ではないなと思う瞬間は、「当事者でない人」の声が小さい時。

いじめはいじめられている人が、
核廃絶に声を上げるのは世界で唯一の被爆国の日本が、
なんなら広島の人が、
電車内性犯罪の根絶は被害者が、
カルト宗教は二世が、
離婚後の養育費不払い問題は被害者が、
女性差別は女性が、
障害者差別は障害者が、
沖縄基地問題は沖縄の人が、

それぞれ当事者が声を上げてきた。

しかしそれでは、属性の数が社会全体に対して少ない場合、非常に不利となるし、声を上げども届かず、となってしまう。

当然のことながら、差別撤廃の方向に動くためには「当事者でない人がどれだけ声を上げるか」が肝なのだ。

追記すると

死刑囚の人権侵害は無関心。自分は死刑囚ではないから。
子どもの権利侵害はどうでもよい。子どもではないから。
アルコール依存症への法改正は無関心。自分はアルコール依存症ではないから。
DV法案が進まなくても
ガザの虐殺が止まらなくても

自分は当事者ではないから、関係ない。
そして無関心。
さらに言えば、心穏やかに暮らしたいから汚いもの怖いものからは目を背けたまま、怒ったりせず笑顔で生きる。

という気持ちを抱く人が多くなれば、声を上げる人イコール怖い人、意地汚い人、社会の秩序を乱す人、ネガティブな印象しかない人、一緒にいて楽しくない人、となってしまう所謂無関心層を多数生み出し続けることになる。

政治のことを難しいことと捉え目を背け、決して怒らず淡々と目の前にある仕事をこなす、笑顔で日々過ごさない人を批判する人のことを
私如きが批判はできない。私は聖人君子ではない。

ただ、悲しい。

日本には民主主義は結局育っていないし、人権という意識が希薄なのだと思わされる。

政治に無関心な人は権力者の暴走を見抜けず、知らないうちに断崖絶壁から落とされることになるのだが、

怖いものから目を背けず勇気を持って声を発する人も、道連れとされるのがなんとも切ない。

正しく古代ギリシャ人の言う愚かな政体である民主主義、と言うわけだ。

成人男性の視点で考えてみよう。
高齢者には生きていればいずれ必ずなる。
また障害者や生活困窮者にはなる可能性がある。
究極、移民難民になる可能性もある。

しかし、決して女性にはなることはない。
さらに言えば、決して子どもに戻ることは、ない。

そう思えば女性差別にも、子どもの権利拡大にも、自分ごとと捉えられず、無関心な成人男性が多いのは人間として当たり前の感情でもある。

だから私は常々、

「自分に置き換えて考える」ことは必ずしも必要ではないと思っている。
どころか逆効果である。否、有害であるとすら、感じている。そんなに人間の想像力を信用してはいない。

だから、自分がされて嫌なことはしないようにしよう、とか、自分の娘がやられたらどう?みたいな言説は不要だ。

自分が直接関係しない差別や人権侵害に声を上げている人がいれば、その声に真摯に耳を傾けて、学び歴史を紐解き、その上で連携することは社会的動物として必須。

あらゆる人権侵害や差別に、自分に関係なくても声を上げて撤廃の方向へ持っていきたい。

閑話休題。

今回はそれどころではない。

地震である。
日本にいればごく一部を除き、どの土地でも起こり得る、しかもかなり災害としてはその影響の規模を考えれば決して無視できない、地震災害である。

そもそも自然災害なんてそれこそいつ誰が被るかなんて分からない。地球上に暮らしていれば逃れる術はない。
被災した後の暮らし設計には資産家は断然有利ではあるものの、資産家でない9割の人は我が事中の我が事である。

なぜこのようなことが起きてしまうのか。

自然災害が起こった際の人命救出、医療、避難所やその後の復興まで、最高法規で保障される権利である。

日本で災害が起こるたび、イタリアの避難所の、整然としたテントの写真がネットに現れ、日本の体育館でのプライバシー無視の避難所との違いを指摘する声が上がり、さらにその指摘に、日本がいつまでも体育館の雑魚寝状況である理由を必死に擁護する声も上がる。

イタリアの状況は不勉強で存じ上げないが、少なくとも日本の災害対策が人権侵害レベルであることは、比較するまでもないだろう。絶対的な惨めなレベルであることは、間違いない。
税金はこういうところに使う。「使ってほしい」でも「使うべきだ」でもない。「使う」である。

日本国憲法第三章 国民の権利及び義務
第11条 国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない
この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与へられる
第13条 個人の尊重と幸福追求権
第22条 居住権、職業選択権
第25条 生存権
第26条 教育権
第27条 労働権
第29条 財産権

災害への壮大な憲法違反である。
予算を取る、それだけだ。

税金が足りない?
いや、全くお門違いだ。
税金の使い方の問題である。

ここまで独裁的なシステムを作り出されてしまった今、民主的なシステムに押し戻すのは並大抵のことではない。しかし、諦めない。

財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した。

 復興が本格化する中、無駄な財政支出は避けたいとの立場を明確にした。分科会終了後に増田寛也会長代理(日本郵政社長)が記者会見し「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」と指摘。被災状況の地域差や住民の考えを理解した上での復興が重要だとした。

共同通信2024./4/9

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