たまたまfacebookで目にしたこのプラトンの格言と言われる言葉。
これを、現代日本人はどう読むか。
自民党に飼われていたdappiや武田鉄矢、三浦瑠麗、百田尚樹、有村香、飯山陽(名前が違ったらすみません)みたいな旗振り役の人たちが、政府を批判する市民への口封じに使うレトリックそのものではなかろうか。
民主主義を腹に落とし込んでいないナイーブな日本人は、ますます羊のように口をつぐむと言う訳だ。
科学以外の全てを産み出したとも言われる西欧の揺籠、古代ギリシャを生きたプラトンの格言は、現代日本人がそこだけ読んで理解したつもりになってはならない。民主主義が愚かな政体であることを、古代ギリシャ人は何千年も前に既に腹に落とし込んでいた。そんな人たちで出来上がった社会から生まれた言葉を、初心な日本人が腹落ちできようか。
まあいい。私は正真正銘の愚者であるが、政府に物申したいことは遠慮なく申し上げる。
さて、一国の政治を時間軸で眺めれば、原因と結果の連続であることは間違いなく、現在の岸田内閣がこれだけ見るも無惨なのも彼らだけの力ではなく、今に至るだけの理由があった。
1990年代中頃の生活政治と政党政治、ナショナルパーティーとローカルとのせめぎ合い。生活政治が広まれば広まるほどに初手の理念から乖離する矛盾。「女性の視点」「素人主婦の政治」「台所から政治へ」「マドンナ旋風」というような言葉が社会に現れて、その後ものすごい勢いでバックラッシュが訪れる。
この時の「台所感覚」はいろいろな文脈で使われるが、今は昔、国政で子どもの給食費の話をすると、「そんなことはPTAでやれ!」というような野次が飛んだそうな。子どもの給食費の話以上に国政に相応しい話題があるか?今は昔と、果たして言いきれるかはさて置き、「台所感覚」は何も女性を揶揄する言葉ではなく、小さな政治、地方自治という意味もあり、先進的なイメージもその時にはあったろうか。
主婦がやるから「主婦感覚」の政治だとするなら、現代は
安倍晋三、二階俊博、西村康稔、松野、パンツ高木、塩谷、茂木敏充、甘利明、森喜朗、書ききれないが、
彼ら犯罪者がやるから
「犯罪者感覚」の政治
とでも言うのだろうか。
主婦の気持ちは分かるが、さすがに犯罪者の気持ちは分かり難い。つまり、我が国の為政者のことを、私は同じ人間として理解できないということか。
今日のニュースを目にする。
何度も繰り返し呟いているが、悪人に支配されるのはまだマシで、アホに支配されるのは背筋が凍る。
そして、岸田さん以下、政倫審に出る犯罪者のみなさまは、間違いなく後者である。
パンツ高木がまた何か言っている。
Fool(panties takagi) because he has to say something.
パンツ高木さん、「愚者は死ぬまで愚者だ」というあなたのさだめを呪いますか?それともそのまま受け入れますか?