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四国巡礼の旅は、有明港からフェリーに乗って行こう!

同行二輪、フェリーも個室でBD−1と一緒/2022.6.4

朝からパッキングしていた荷物を再度点検。向こう1週間の四国地方の天気予報をWEBで調べて、フリースの長袖を持って行かないことにする。登山ならともかく、夏の四国には必要ないだろう。

重量はそれぞれ次の通り。サドルバック:4.9kg、フロントバッグ:2.3kg、リュック:5.7kg。リュックにはMacBook Airを入れているので、想定よりも重くなってしまった。

横浜からフェリー乗り場の有明までの実走行距離は39.4km。平均時速は12.4km。今回の四国巡礼では、平均時速を10kmで想定しているので、四国を走る際のイメージトレーニングも完了。

勝鬨橋を渡って有明方面へ

11時過ぎに横浜の自宅を出て、途中でランチを済ませ、築地とか寄り道しながら有明に到着したのは15時すぎ。フェリー「びざん」はすでに着岸していて、すぐにでも乗船手続きをしなければと、はやる気持を鎮めつつ輪行袋にBD-1を入れてターミナル2階の受付けへ。

しかし、ターミナルには誰もいなくて、たまたま出会わせた職員の女性に尋ねたら、乗船手続きは17時からとのこと。そこで3階の待合ロビーにいくと、そこはびっくりするほど閑散としていて、コロナ禍の空港みたいな雰囲気。待合ロビーに人がいないから、当然ながら冷房も効いていなくて、40km近く戸外を自転車で走ってきた自分にとっては、まったくクールダウンできないどころか、むしろ熱中症になっちゃいそうな感じ。

3階の待合室。ガランとしていて、どこか地方空港のような雰囲気

もちろん、乗船時間は19時からだとわかっていたこと。トランジットで数時間、空港で暇を潰していた時のことを懐かしむつもりで、早く有明港に到着してみたというわけ。3階の待合ロビーは、地方空港の雰囲気にちょっと似ている。

ギリギリを攻めてくるバス。マジで怖い……

とにかく、今回の旅で最も危険な区間を走破した。クルマでいつも通っている道も、自転車で走るとなんと恐ろしいことか。左折する自動車に気を遣い、車道を逆走してくるジョガーに気を遣い……、本当に精神がすり減ってしまう。でも明日からは、きっと走りやすい道が待っているに違いない。

自分の中では、映画『旅の重さ』の景色の中を走るというイメージ。公開は1972年だから、私が1歳。もちろん50年前の景色が残っているなんてあり得ないことも分かっている。クルマで四国を一周したこともあるし、きっと思い描いているイメージとはまったく異なることは覚悟の上。でも、やっぱりどこかで『旅の重さ』の景色を期待してしまうのです。

「おまえ、びっくりしないで、泣かないで、落着いて。そう、わたしは旅に出た。ただの家出じゃない、旅に出たのだ(つづく)」と、四国に上陸したら妻宛てに手紙でも書いてみたい気持ちだけれども、あいにく今回の旅は随分以前から根回しして妻の了解済みなので、私にとっての旅の重さは大したことはない。というか、有明港に到着してすぐにLINEでその旨伝えたら、柴犬が舌を出して「お気をつけて〜」と笑っているゆるいスタンプが返ってきた。ああ、久しぶりに万年筆で誰かに手紙を書いてみたい……。絵葉書でもいい。旅は人を詩人や哲学者にするものです。

フェリー「びざん」の船内にぞくぞくと吸い込まれていくトラックを眺めていたら、ついに待合ロビーにアナウンスが予定よりも10分早く流れた。いよいよ乗船の時がきた。

●6月4日に四国へ旅立つという個人的な意味(後付)

さて、どうしてこの時期に四国へ旅立ったのかといえば、仕事を辞めて退社するタイミングとか、いろいろ。本当は、4月か5月に旅立ちたかったのだけれど──そのつもりで準備もしていた──うまくすべてのスケジュールを合わせることができなかった。

友人の中には、「梅雨の時期をわざわざ選ばなくても」という人もいたけれど、旅立つタイミングも含めて今回は流れに身を任せることにした。それこそ四国に呼ばれていたら行くことになるだろうし、ご縁がなかったら今年も旅立つことはできないだろう、というくらいの気持ちだったのだ。つまり、それくらい実は四国巡礼は、億劫でもあったのだ。3週間近くひたすらペダル漕いで、寺を八十八ヶ所も回って、その日の宿を心配して……って、やっぱりワクワクもするけれど面倒くさいなぁとも思う訳で。だから先延ばしになったらなったで、それはそれでよし、ぐらいに思っていたのだけれど、6月に旅立てる要件がすべて揃ってしまったのだ。これは四国に呼ばれている、もう行かねばと覚悟もつくというものだ。

納経帳や納め札などは、すでに入手済み。旅立つにあたってやるべきことは、徳島までの交通手段を押さえること。さっそくフェリーのWEB予約を済ませた。旅立ちの日は私の希望もあって土曜と決めていたので、6月4日に決定。

土曜日の午前中は家族全員が家にいる(はず)なので、映画のワンシーンのような旅立ちのシーンを欲していたのかといえばそうではなく、「行ってきます」ときちんと家族に伝えたかったから。しかし、長男は土曜の未明から南アルプスへ山行に出かけ、長男は朝から部活、そして妻は友達と買い物へ。四国巡礼に旅立つ日くらい、本当はたまには家族に見送られたかったという願いも空しく、いつものテレワークの平日と同じように、私が家族全員を見送ったのでした。

そんな愚痴はどうでもよくて、実は6月4日の出立にちょっとしたシンクロニシティがあった。

梅雨の時期に四国お遍路に行ったのは、『娘巡礼記』の高群逸枝だったなぁ、と思い出し、岩波文庫を取り出して確認したら、なんと彼女の出立した日が6月4日だったのである。ただの偶然だけれども1/365の確率を引き当てたということが、なんかもう四国に呼ばれているという気がしないでもない。

『娘巡礼記』を読んだ時、彼女が熊本市に住んでいたことを知って、誠に勝手ながら自分の中で近しい存在になっていた。それというのも彼女が6月4日に出立した場所は、私が父の転勤で8年近く住んだ上熊本のすぐ近くだったからだ。私は熊本出身ではないけれど、同郷の人のような親近感を勝手に抱いている。

こうしたこともあって、6月4日が私の四国巡礼への旅立ちとなったのは、ちょっとした運命だったのかもしれない(ト思ウコトニシタ)。

さらに、これは全く関係ないけれど、私が四国へ旅立ったその日、堀江健一氏が83歳でふたたび太平洋ひとりぼっちでサンフランシスコから69日の単独無寄港太平洋横断に成功。これは1962年のときの逆ルート。まだ四国に上陸する前から、自分も逆打ちはいつどんなスタイルでやろうかなぁ、と考えずにはいられないのです。

●自転車なら輪行しての個室がお得です

ベッドは下段を使いました。

フェリーにはBD-1を輪行して乗船したので、2名の個室を予約していた。BD-1を置いておく場所の確保のためである。ちなみに、2名個室は、二等洋室(相部屋)のプラス3000円。輪行しないで自転車で乗船した場合は、別途2950円の自転車運賃がかかるので、たった50円高いだけで個室を利用できるのなら、輪行のほうがお得。

フェリーに乗船してまずやるべきことは、入浴である。できれば離岸する前に入っておきたい。混み合う前にとか、いろいろ理由はあるけれど、海が荒れた場合にはお風呂に入れなくなることがあるからだ。

入浴後は、その日に着ていたものをコインランドリーに入れて、洗濯と乾燥。所要時間は1時間40分とあるので、その間にフェリーターミナル近くのコンビニで買ってきたお弁当を電子レンジで温めて、その日の夕食とする。四国巡礼では、日々、宿に着いてコインランドリーがある場合は洗濯しなければならないので、その予行演習でもある。

個室にはテレビが備え付けられていて、ちょうど『男はつらいよ 寅次郎真実一路』が流れていたので、思わず昭和の雰囲気に引き寄せられて、ストーリー途中であらすじも分からないのに見入ってしまった(ホントハ大原麗子サンガアマリニモ美シカッタカラ)。

常に微振動が絶えない船室で、浅い眠りに就いたのは午後の10時。夢に大原麗子さんが現れて、なぜか私は大原麗子さんに請われて膝枕させらるのだが、あれはどういう意味だったのだろう。私が大原麗子さんの膝枕で心地よくなる夢なら理解できるのだけれども。いずれにしても、なんかちょっと幸せな気分で、旅の初日の朝を目覚めることができたのでした。四国から帰宅したら、Amazon primeで『男はつらいよ 寅次郎真実一路』を探して、最初から映画を見直してみよう──「徳島上陸は雨だった」に続く……。


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