天皇の存在意義

天皇陛下のご退位が何にかとマスコミにのりますが、この機会に少し天皇について、自分なりに、記しようと、思います。
日本人にとって、天皇は、象徴とされますが、この存在は日本国民にとって、平等を、とても 意識させているはずです。江戸時代から、士農工商の身分差別は、在ったものの  侍は、商人農民の職務領域を、あらしたりせず、その職域を尊重したものです。例えば、戦は農民をまきこんだりせず、戦は侍だけで、戦いました。城は、外国のようにその町全部を、囲む要塞を、作ったりして、侍以外の民を殺したりしていません。要塞は城の周りだけで庶民は巻き沿いにしようとは考えませんでした。これは侍以上の天皇の配下に庶民の暮らしがあったためです。無意識に天皇の配下という意識があったためです。その意識は現在でも、あるようです。共産主義は平等という思想は第一義ですが、天皇はその考えで言えば、国民はすべて、平等と考えると、天皇は、平等に反し、矛盾です。しかしながら、矛盾を矛盾として、矛盾となさず、と、人間の存在は自己矛盾であります。自身自体は好き、きらいで決定する。平等は建前で選択はエゴです。矛盾の塊が人間ならば、その集まった社会は合理的であろうか?そんなバカなことでは社会はは成立するわけない。どこかにしわ寄せがきます。それが崩壊となるわけです。日本はその矛盾を天皇に持ってきているわけです。矛盾が頂点なわけです。しかもそれが力ではなく、象徴して国民の尊重をあつめている。そのしわ寄を どう消化しているのか?
天皇はお忙しいらしい、 なぜお忙しいのか?それは祈りを施行しているらしいからです。この祈りこそしわ寄せを 浄化しているのです。私はこの世界で祈りが最高の力を持つと信じています。この祈りがこの宇宙に影響をもたらすと考えています。人間が真摯に祈祷すれば それは人間の運命を変えると、考えています。こうして天皇の存在意義を認めるのです。これは今論から意識場の存在から祈りを見出したものです。わたしは平等と自由の意義基準を考えたら、自由は優先して平等はその次に、きます。共産主義は同じレベルに考え、平等を 強調していますが、自由があって、その下に平等がはじめて成立するのです。自由の中にこそ、平等の権利が生きてくるのです

この記事が参加している募集

自由律俳句

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?