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「守りたいまち」について

以下は、3.11、東日本大震災に寄せるわたしの想いです.


2011年3月11日.
わたしは東京にいました.
小学1年生でした.
ちょうど下校しようとしているところに、大きな地震.
揺れが治まると校庭に集まって、親の迎えを待ちました.

まだ寒い3月の空を、ヘリコプターが行き交い、
「大変なことが起きているのかな」
と考えたのを覚えています.

家に帰ってテレビをつければ、
津波の映像が流れていたことでしょう.

でも、その記憶だけが、
すっぽりと抜け落ちていました.


きっと、
「見知らぬどこか遠いまちで起きた、信じられない出来事」
として記憶していたと思うのです.


大学生になり、不思議なご縁で、宮城県を訪問するようになりました.

2023年夏には気仙沼で、
2024年春には女川で、
2週間ほど暮らしました.

そこで、ある変化が起こります.

震災に関して、
地元の方から聴くお話や、
東京で手に取った書籍の中に、

知っている地名を見ると、
そこに添えられた当時の様子を知ると、
ひどく胸が痛むのです.

壊さないで、と願うのです.
逃げて、と叫びたくなるのです.


わたしにとって3.11の舞台は今や、
「見知らぬどこか遠いまち」
では無くなったのでしょう.

そこは「守りたい、だいすきなまち」であり、
幸せでいてほしい人と、
壊されたくない景色と、
で溢れています.

そして、そこでまた何かあれば、
絶対に助けに向かう、
と心に誓うことができます.


能登地方では避難生活が続くと聴いております.
一日も早い復興をお祈り申し上げます.

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