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1/fゆらぎを抱えて 「いつか」 のコンパスを握りしめる



春になると思い出すことがある。

小学校の入学式に着ていくワンピースを買いに百貨店へ出かけたこと。父と、母と、父方の祖母と叔母がふたり。初孫だったわたしの学校行事は有難いことにいわゆる「親戚総出の祝い事」だったらしく、この日もそれに倣って仰々しい軍団が試着室の一角に集っていた。

「ええやんか〜シンプルで上品やし」
「この子色白やからよう似合ってるわぁ」
「黒やと入学式終わっても冠婚葬祭何でもいけるからな」

方々から聴こえる関西弁丸出しの褒め言葉。鏡に映る三角襟の清楚な黒いワンピースに身を包んだ6才の少女はじいっと裾を見つめている。


ーーーわたしは、一軒前のお店で試着した黄色のフリフリドレスが着たかったのだ。

それでも、言い出せないことは分かっていた。

みんなが喜ぶものを選ぶべきだと思った。
だって初孫だったから。だって長女だったから。


その苦い記憶はいつしか「お母さんが黒にしときなさいと言ったワンピース」というラベリングで、わたしの脳裏に刻まれることになる。



〝教養のエチュード〟は、
「豊かな教養」という意味ではなく、「人生や心を豊かにするための訓練」という意味。


noteをはじめてからお名前だけ存じていたこちらの私設賞に参加しようと決めたのは、過去のご様子からとても温かく穏やかでアットホームな雰囲気が感じられたから。そして、20代が終わる節目にひとつの区切りをつけたかったから。

人生でずっと誰かに話したくて誰にも話せなかったことを、不躾は重々承知でお会いしたこともお話したこともない “嶋津さん” への個人的なお手紙に託したかった。むしろ、あまりにも頑丈に箱の奥底へ仕舞い込んできたせいで家族や友人といった近い誰かにはもう何も話せそうもなかったから、半ばひとすじの祈りみたいな想いでただただ書き綴らせていただいた。

箱のなかから取り出した記憶と感情に触れて「書く」ことは「掻く」ことみたいだ、と思った。


すっかり瘡蓋に変わったはずの傷跡から血が滲みそうで、昨日選んだ言葉を翌日には削いで、その翌日には息を止めて丸ごと消して。そんな毎日を繰り返しながら事実だけを並べる行為はとても苦しかったけれど、公のコンテストでもいつもの日常でも、きっとこれを最後まで書き切れなかっただろうと緑のボタンを押した瞬間に分かった。

今まで書いてきたものは「句点」をめざして相応しい文字を重ねた物語。けれど今回わたしが吐き出したかったのは、装飾を削って余白を事実で埋め込むしかなかった「読点」の未完成な物語。


そこには、決して「枝葉」とは言えない人生の一部が、吟味された言葉で描かれていました。その言葉を選んだ思考の過程、追憶の時間、記憶の中で熟成される感情。あらゆるゆらぎを抱えたまま、洗練された言葉に収斂していくその指先。そこに並んだ言葉の醸す色、香り、質感。佇まいから微かな鼓動が聴こえてきました。


とくべつなお手紙を頂いた夜中、「1/fゆらぎ」という言葉が浮かんだ。

炎や水の揺れ、それらはいずれも一定のようでいて、実は予測できない不規則なゆらぎであること。一般的には癒し効果があるとされているけれど、実はさみしさや恐れといった感情もそこに混じっているのではないかとわたしは思っている。


> その問題と向き合い続け(時に保留しながらも)、いつかどこかのタイミングで折り合いをつけるのでしょう。

嶋津さん、わたしからの重い手紙を受け取ってくださり本当にありがとうございました。

自ら書いたはずの言葉に問い返されて、
自ら掻いたはずの言葉に傷ついて、

それでも、人生でずっと悩みあぐね続けている終わりのない問題の “或る地点” まで辿り着けたことに、今回わたしは心底安堵して、涙しました。

いつになるか分からないけれど、それでも「いつか」必ず折り合いをつけられる日が来ると、きっと思います。今のタイミングで人生や心を豊かにするための訓練ができたことはとても大きな幸運で、この経験と心が救われたお返事は生涯の指針になりました。




数年前、ふと思い出したように突然母は言った。

「あの時、ほんまは黄色のドレス着せたあげたかったのに。お母さん、おばあちゃんとかおばちゃんに負けてもうて。ごめんな。」

今更何の話してんの、と忘れたフリをして笑ったけれど、そうでもしなければ今すぐにでも泣いてしまいそうだった。

まだまだわたしが知らない母がいて、まだまだ母が知らないわたしがいる。

ふたりの距離はまるで1/fゆらぎのように、常に一定のようでいて、予測できない不規則な変化を繰り返す。

いつか、いつの日か。

あの時カレーを作った背中の向こう側の母に会いにゆきたい、と思う。ソファで眠るふりをしたわたしを起こしにきてほしい、と思っている。






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