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訳:彼の幸せは奇妙な形をしている。【不純な動機で書くエッセイ】

 自分の幸せの及ぶ範囲、その円周を少しでも広げたいと常々思っている。
 一時的でもいいから、その半径を1㎝でも1㎜でも長くしたい。きれいな円の形をしていなくてもいいから、その面積をほんの僅かでも大きくしたい。

 いきなりそんな抽象的なことを言われても意味が分からないと思う。これからその中身について、僕なりに言葉を尽くして説明するつもりではあるけれど、それでも納得させられるかどうかは分からない。

 僕が思う幸せは、自分一人だけでは実現することのできない代物で、この上なく面倒くさい性質を持っている。
 そう自覚しているだけでも褒めて遣わしてもらいたいくらいなのに、残念ながらこれまでに褒めてくれた人はいない。
 僕は、周囲の人たちが幸せでなければ、少なくとも幸せそうにしていると判断できなければ、自分の幸せを享受することができない。
 自分だけが(状況としては)良くても、周囲の人たちが悲しそうな顔をしていたり、作り笑いで取り繕っていたりなんかしたら、それは幸せとは言えない。周囲の人たちがお腹を空かせていると知っていながら、自分一人だけで1個のおにぎりにありつくわけにはいかない。

 逆に周囲の人たちが幸せであれば、自分が多少の不幸に見舞われていたとしても、それは幸せと言える。もちろん不幸の種類にも依る。だからそういう意味では、不幸の許容量を広げることもレベルアップしたい事柄に含まれてくる。

 別に自己犠牲感に浸っていたいわけでも、ヒロイックな気分に酔いしれていたいわけでもない。
 そんなの、不幸にならない方が良いに決まっている。
 問題は優先順位の付け方なのだと思う。僕の中では、自分にとって致命的ではないマイナスを減らすことよりも、周囲の人たちのマイナスを減らし、プラスを増やすことの方が優先される。この優先順位の付け方自体がアルマゲドン的だ何だと揶揄する人がいるとしたら、僕はその人のことを少し可哀想に思う。

 ここで言う「周囲の人たち」は、家族であったり、親しい友人であったり、職場の同僚であったりする。
 幸せの円周が広ければ広いほど、より多くの人たちの幸せが僕の幸せに関与することになる。
 幸せの円周を広げることは、より多くの他者の幸せを自身の幸せと感じ、より多くの他者の不幸を自身の不幸と感じることだと思う。また、自己の持ち得る能力の全てを発揮して、より多くの他者を幸せにすることでもあると思う。

 幸せの捉え方は人によって様々だ。一般的に価値観と呼ばれる、個人的問題の極致にあるような事柄ではないだろうか。
 僕は「幸せかどうか」というその判定基準に、愚かにも他人の幸せを持ち込んでしまっている。それは、式が一つしか与えられていないのにxとyの二つの変数を立てて問題を解こうとしているのに似ている。だから僕の幸せはこの上なく面倒くさい。どうか伝わりますように。

「自分だけじゃない。なんか自分一人の世界ではないかな。半径5メートルぐらい、の感じが今浮かんだ」

 とある広告の対談企画(のようなもの)の中で、僕が尊敬してやまない女性が「幸せとは?」という問いかけに対して、ごく自然に、さらっとそう答えていた。
 自分の思う幸せも、つまりはそういうことだと思った。理想的な心強い味方がいることを、僕はこの時初めて知った。
 
 見方を変えれば、僕は自分の幸せのために他人を手段として扱っていると言うこともできると思う。正直なところ、自分が利他的なのだか利己的なのだか未だによく分からない。でも頭のどこかでは、両者は必ずしも相反するものでもないだろうと開き直っていたりもする。

 僕は彼女のその言葉を都合よく解釈して、背中を押してもらったような心持ちになった。(自分から背中を押しつけにいった感は否めない。)

 とは言っても、僕は大した人間ではない。自分で掲げた目標すら成し遂げられない意志の弱い個体だ。noteの連続投稿だって3日と続かない。
 そんな僕の幸せの円周は、半径5mもあるはずがなく、50㎝はおろか、5㎝すら危ういように思われる。その内側に自分自身が収まっているかどうかさえ怪しい。
 百歩譲って家族や親友の幸せを自身の幸せと感じることはあっても、僕が彼らの幸せに貢献しているという実感は少しもない。

 それでも、せっかく人としてこの世に生を享けたのだから、幸せを追い求め続けることにしたい。
 小さな人間である自分にできることは限られる。差し当たっては、言葉の届く範囲内にいる人たちをクスッと笑わせることからだろうか。noteにお喋りのような文章を書き続けることは、その一翼をなしてくれると思う。

 幸せという大風呂敷を広げておきながら結局やることはnoteやお喋りかよ、と思われた方もおられるかもしれない。でもそれは仕方がない。現状noteへの投稿や愉快なお喋りすらままならない、超弩級の理想主義者の言うことなんて、たいていこんなものだ。

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