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30万とバスケットボール持ってただ南の方へ。この旅を元に出来事を記録しています。現在進…

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30万とバスケットボール持ってただ南の方へ。この旅を元に出来事を記録しています。現在進行中

最近の記事

フィリピン。泊まり事情。

フィリピンでは、ひたすら歩いて安宿聞き込みから始まり。後半になるに連れどんどん一泊あたりの値段が減っていった。 フィリピンの基本は 水シャワー ベット コンセント 扇風機 最低限の部屋で2000円くらいかな。アジアでは高いね。 でも3500えんくらい出すと。リゾートに泊まれることがある。 一回泊まったことがあるな。少し山を登り村のその奥にあるリゾート。現地の家族連れがよく昼に遊びにきてたな。川に面してて、ジャンプ台。展望デッキ。ジャングルジム。ちょっとしたバギーのコースまであ

    • 400キロチャリ旅。衝撃の始まり。

      場面はスラバヤの自転車やで。性能がいい。、店主の保証ばっちしの中古のチャリンコを買い。みんなで送り出してくれたところが始まる。 乗り物に飽きてたおれは。自分で移動する喜びに浸っていた。「バリはどっちだー」なんて四方八方にいいながら陽気にバイクの群れににながれていた。 大きいバックパックを背負って漕ぐこと900メートル、、。ガチャン!!とケツが2センチ下に下がった。そして漕ぐと後ろからウィンウィンきこてくる。「パンクしてるじゃねぇか!」。周りを見渡すとチャイニーズホリデーだから

      • 🇮🇩2 スラバヤ 鉄道 朝の決断

        チャイニーズニューイヤーの日だった。 インドネシア、セマラン。朝4時。街を案内してくれたおっちゃんを起こしてさよならを言ってスラバヤ行きの電車に乗った。インドネシアジャワ島東の大都市である。 インドネシアで電車に乗るのも3回目だ。正直電車には飽きてきた頃だ。  そういえばセマランという真ん中の都市に、船の港があると聞いて港を散策した、スラバヤかバリ島行きを探していたのだが。行き先はカリムンジャワという日本でいう佐渡島のような、離島のみのようだ。 乗り物飽きたなぁと思っていた

        • インドネシアの初日

          インドネシアは激動の国だった。ジャカルタの都市をスルーし、まだ金があったおれは電車で移動することにした。デカくもなく小さくもなさそうなチルボンという響きのいい都市に降り着いた。いいのは響きだけでここには誰1人言語を通じてコミュニケーションを取れる人がいないのだ。つまりみんな自国の言葉しか喋れないのだ。夜に着いたのでホテルを探そう。ホテルは1000円でも高いと思っていたので500円から700円の間で探したかった。結局そんなホテルは見つからず一晩中歩くことになる。 チャリんこタク

        フィリピン。泊まり事情。

          衝撃のホームステイ

          喧嘩するほど仲がいい。 ぼくがオーストラリアの先住民族のファミリーにホームステイしていた。静かに座るボスレイディのおばあちゃんとその息子、娘。  スティーブンというおっちゃんからおじいちゃんになりかけの、座ると腰回りがダンプのハンドルほどに膨らむ男がいた。  都市に住む先住民族は「2ドルちょうだい」とあいさつのように言ってくる奴らが多い。  ぼくはローカルな人が大好きなので黙って、見過ごす訳には行かない。その時の全財産が1ドルと50セントくらいだったので財布ごとあげてみた。「

          衝撃のホームステイ

          砂漠の真ん中から無一文で脱出。

          ノーザンテリトリーというほとんど砂漠のオーストラリアの州。地球のへそ、オアシスの都市Alice springsより南に100キロ、西の砂利道を70キロ進んだところの小さな先住民族の村にて。今まで、そしてこれからの日記を書こうと思い立ち、電波を使って発信しています。 1日目 冬の長野の山を角刈りで飛び出し、気づいたら真昼のギラギラ灼熱のマニラ。空港出口で待ち構えてるおっちゃんタクシーには乗らないのが、アジアを凌ぐ第一歩。バスや鉄道などの公共機関を見つけるのが1番いい方法だが、

          砂漠の真ん中から無一文で脱出。